【2002年5月】

5月31日(金)  大丈夫です
わたし
厨房だけど
元気だから

 と、昨日あんな事を言っておいてその舌の根も乾かぬうちにJokin’と、萌え談義。
 後でちゃんとまとめますの。生ログ

5月30日(木)  撃都陀篠兎
 これからは前向きに生きます。

 この辺に刺激されて内観と考察を重ねた結果、萌えとは快であるパターンのパターンである快一般を指すのだと俺の中では結論された。快の源泉はあまりに多く恋愛のすぐ傍にあるがゆえにそれは恋愛及びそれに近いものが引きおこす感覚だ、と誤解されているのではないだろうか、ていうか必ずしも性的な意味ではない用法がいくらでもあるのに「萌えオタ」っていうとオナニー猿みたいなイメージで語るのは、どうなの?
 例えば可モテ系のきむらさんに「あなたのその可モテ系っぷりは萌えですよ」とか言ってる時に何を意図しているかと言うと、やっぱりこの辺の意味なわけであるし、転の字が「薫たんの意地っ張りなところが萌え」とか「アリムラユウ萌えー」とか言う時に奴が意図しているのもその辺だろう。
 だから恐らく常に新たな萌えは発明されるのではなく発見されるのだろうし、それゆえ偽綾波と綾波は似ても似つかないのだ。綾波にあった快ではない型は排除されるから。その快ではない部分をこそ評価している俺にとって偽綾波たちが魅力的ではないというのはこの際大した問題ではないだろう。
 多分、だから萌えの対義語はセンスオブワンダーなのだと思う。型から逸脱する事の快。でもそれも「型から逸脱するという型」に収まってしまったりするわけで、故にイーガンは萌えじゃないけどソウヤーは萌え。ディレイニーは萌えじゃないけどゼラズニイは萌え、っていうと語弊があるなディレイニーの短編とゼラズニイの凡作は萌えだけどディレイニーの長編とゼラズニイの傑作は萌えじゃない。いや、ゼラズニイ本人は何時何時でも萌えだけど。
 型通りである事の快一般を指し示す語彙がここまで広がっているのはメタな型に関する感受性の水準が上がってきている事を指し示すものであろう。
 が、萌えで全てが語れたのは前世紀の話。新時代・二十一世紀のキーワードは最早萌えではない。(;´Д`)ハァハァだ。結局そこに回帰するしかない、絶対的な実存の孤独。
 ハアハア。夜毎繰り返される密室の秘儀。
 ハアハア。個別的な身体の神秘へと帰り。
 ハアハア。まいにちあっちゃん。
 そうだ、僕たちはハアハアの祭壇に奉げられた供物であり、ハアハアの祭儀を執り行う祭司なのだ。
 委員長が何故萌えかを語る時代は既に過ぎた。世の中にフィジカルを超えた価値がある、と信じる俺はその具体的な行為には至らないけれど、それでも我々は何故委員長があんなにもハアハアなのかを思わなければならない。
 では、何故委員長はハアハアなのか?
 俺に聞くな!!
 答えはお前の中にある。

5月29日(水)  十四時間
寝た。まだ明日のレジュメ終わってないのに。

 ので、これから寝ないで作業します。
 研究室で鯖立てて『新編国歌大観』共有してくれりゃいいのに。


今日のネタ;
 『ごくせん』て仲間が圧倒的に美しい事でバランス崩れてるね。妹がブサイクにしか見えねえ。わざとらしいなりに上手いのに。

5月28日(火)  ひとやま
超えた。
 解放感。

5月27日(月)  今日の転叫院
「あと、分かっていると思うけど、ノボル君が高校に通っているシーン。あれって全部ミカコの想像上のものだかんね。制服着ているのが良い証拠でさ。」
(『ぼくらは虚空に夜を視る』の説明)

 転の字が「ほしのこえ」を見た勢いでお茶会の秘密チャットがなんだか良く分からない展開に。板野一郎を夜通し賛美する文芸サークル・新月お茶の会。なんだそりゃ。
 時間と空間を独特の生理感覚で誰よりも上手く歪めてみせる板野一郎はやっぱりスゴいアニメーターだと思います。
 議論は俺、見月さんが頑張ってるけど大した事はない派、鬱の字が擁護派、そして転の字が思想的に敵派。俺と転の字の結論は『ぼくらは虚空に夜を視る』の方が万倍カッコイイ、に落ち着きました。無難。
 LUNATIC PROPHETの夏新刊は「ほしのこえ」のエロに決定しました。
 「四季折々のかおるさん」はLUNATIC PROPHETを熱烈に応援します(いやマジで)。

5月26日(日)  なんというか
『HAPPY☆LESSON』は正気ですか?
 うづきママの初恋話、っていうか「うづきさんもそんな歳になったのね」うづきさんは何歳なんですか?
 チトセがうざったいけど俺を慕ってくれる女が他の男に興味を示すのが不快だ、ともママを取られちゃうのが嫉ましい、とも全く思っていないのはなんなんでしょう。飼い犬を番わせようとする心境?みたいな。
 理想的にベタベタなもの、は実はどこにも存在しなかったりしますが、にしてもこのギャルもの=ティムプフォの周りに姦ったり恋したりしていいニョニヌがわらわらと、の定法を無造作に逸脱するのはなんかもう快感以外のものを与えてくれなくて困ります。
 その一方で委員長が。

 あ、五月祭とかありましたけど行ってませんの。
 打ち上げには出た。

5月25日(土)  エバンスと橋本?
 なんの冗談ですかそれは。
 だからポールを首にするべきじゃないってあれほどいったのに。
 だから平塚の扱いがあまりにあまりだとあれほどいったのに。

 『闘神都市U』とか。
 肉々しさが全ての俺はアリスソフトと相性悪いです、きっと。
 えっと、今の萌え系の源流が意外とこの辺に有る事は分かった。あくまで意外と、だけど。
 ていうか『同級生』とかの脱衣麻雀などの流れを汲むゲームでポルノグラフィーしてみました、なブツ(言いたい事は分かる。俺もそう思う。けど、分かれ)と『みずいろ』みたいな萌え特化ゲーの境界って結局どこにあるのかしら。

5月24日(金)  なんとも
現実逃避に忙殺された一日でした。

5月23日(木)  祝! 商業デビュー!
 身体測定と午後の授業の後、時間が余ったので神保町へ。
 スタジオDNAの『月姫』アンソロをふーん、と思いながらしっかり購入。
 別にだからと言ってアレに金が入るというものでもないのだけれど。

 まあ身内の作品にぐだぐだ言うのもなんなので、一言だけ。
 ・・・『Get Backers』?

 「ドリアンだから」って反論禁止。鳳凰幻魔拳てのもね。

 この人の作品が大変面白かったです。

5月22日(水)  世界の中心で愛を叫んだ動物(2)
 『YU-NO』クリア。
 システムの横滑りとかなんとかですが、これは、「書いてるうちに辻褄が合わなくなった」と見るべきな気が。
 普通に解決するよりも面白いし。
 エロかったです。原画の画力によるところ大ですが。 
 これがエロゲーというものですね。文句をつける筋合いが最早どこにもない。シンプルに、好き。
 誰がって事もどこがって事もあるけどなく、作品として好き。
 それでもそれを愛の奇跡と呼んでみたい、と言うのはSSDにも通底するテーマですな。この辺のテーマを真摯に追求するしかないんじゃないかな、エロゲは。ポルノだから。

 結局のところ、オタク第三世代クリエイター厨特有の基礎教養ってエヴァとサクラとEVEなんだよ。つまり中三から高一で直撃された作品群。
 それらに共通しているのは、世界のメタな構造に対する明晰さだと言えるだろう。ここにおいて、典型的な第三世代クリエイター厨である俺が、SF小説を書こうとしたけれど主題と構成しか思いつかなかったのが世代の病であった事は明々白々である、とか言ってみる。

5月21日(火)  世界の中心で愛を叫んだ動物(1)
 何故か唐突に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』を始める。
 大学四年生にもなってやる事ですか?

 それはそれとして。
 懐かしいなあ。なんというかこう、あの頃の匂いがする。いや文章が剣乃ノリなだけだけど。
 しちめんどくさい総当り式アドベンチャーで、このかったるさこそがノベルゲームが猖獗を極める現況の遠因となったのか、とそんなところまでもが感慨深い。
 ノベルゲーム。そう、これってノベルゲームじゃないんだよね。
 ゲームのインターフェイス的には全然違うんだけど、どうして兄チャマはこれをノベルゲームって言っちゃうのかしら。ただギャルゲーって言っときゃいいものを。
 『YU-NO』を重要視するってのはつまり東鳩以降のノベルゲームの隆盛及びそれを核としたエロゲ市場の急成長に意味を見出さない態度を示すもので、それ自体は一つの見解だと思うのだけれど、ならノベルゲームって言葉はいらなくないですか? ちゅーかビジュアルノベルか否かと物語への欲求とデータベースへの欲望の話はそもそも関係ないわけで、ギャルゲーって言っておけば別に何の問題もないのにどうしてこういう非本質的な部分で問題になりそうな用語法をするかなあ?
 VNとADVではプレイヤーの感情移入経路が全然違う。そこを俺は重視したいけど、それは俺が首をつっこんでいるのがそう言う事を考えないとどうにもならない世界だからだったり。
 とまあ、つまりノベルゲームの感情移入システムは、まさしく小説のそれに実はより近い、と言ったお話。ADVにおいて、それはやっぱり操作可能性によるところが大きい。ゆえにプレイヤー・主人公間の距離をどう取るべきか、の正答がまるで異なってくる。
 ADVは近く、VNは遠い。逆に言うとプレイヤーの主体性はVNにおいてより大きく制限されている。
 ん? 動物化?
 違うけど違わないね。

5月20日(月)  渋谷Denny'sで一晩中
 レヴォの反省会の後、渋谷のDenny'sにしとねと立てこもって奴の愚痴ともなんともつかない話を聞く。何話したっけかな。
 忘れた。そのうちフラッシュバックするんじゃないかな。

5月19日(日)  反省!
 レヴォの反省会。
 お仕事が、増えました。
 オリジナル・ノベルゲーム『CAROL』主題歌の日本語訳をします。かの柴田元幸から優以外をもらった事のない漏れの翻訳力に驚嘆せよ。

5月18日(土)  今だ! 合体! ミカコとノボル!
 まさしくオフ合体よのお。
 ここは新海誠の最もエッヂなファンサイトなので、ちゃんと書いておきます。

 新海誠 死ね ほしのこえ クソ

 他意はありません。
 ただ、世間が手放しで絶賛しているけれどどうしても俺は手を放せないものには背を向けたくなるだけです。

 ああ、夏コミでは『ほしのこえ』のエロ同人とかいっぱい出てんだろうなあ。
 ミカコとノボルの名残の一発のヤツとかミカコが触手宇宙人に捕まってあーれーみたいなヤツ。あとは再会したノボルとミカコの無重力ファックね。
 誰か絨毯爆撃してくだちい。


 さて、しとねのライバルは新海誠であり、アリムラユウのライバルは廃屋譚のライバルはゴッドハンドである(違)。
 となれば、俺にもライバルが必要なのではないだろうか?
 似たような年代で似たような事をやってるライバルが。つまるところそれは俺が何をやっているのか、の話になるわけであり、例えば声優ソムリエとしてならば、豊口めぐみ、平松晶子、桑島法子判別の速さとこおろぎをかないと間違えない事により、のりのりさんあたりとはそこそこ勝負になるのではないか。しかし今はもうそんなにアクティブではないから、この領域で俺より大分先にいるのりのりさんにはちと追いつけそうもないし追いつく気も無い。
 むつかしい。そんなわけで俺のライバルを公募します。kaolu4s@lily.freemail.ne.jpまでご連絡ください。自薦他薦を問いません。


 何時の間にやら捕捉されていました。
 油断ならない世の中だ。
 SF系日記、かなあ?
 Seiyu Fun系日記ではあるが。Sex Fantasy系でもある。
 こんな事になるならhentai Japanimationとか付けるんじゃなかった。流石にタダの羞恥プレイ。これはこれでお気に入りなんだけど、ね。

5月17日(金)  松坂当番回避か・・・。
 許も抹消されたしどうしよう。
 大沼と内薗と張に期待します。星野とか鳥谷部とか上がってきてずばっと抑えてくれたりしねえかな。安藤とか真山とかでも。
 と、タイトルとかで西武ライオンズの近況を書いているのに特に意味はありません。ファンなだけ。

 唐突に枯堂夏子賛美の気持ちが高まってきたのはつまり「アクセル」(歌;飯塚雅弓)が物理的距離と心理的距離の食い違いを『ほしのこえ』よりもずっと上手く、しかも正反対の形で綺麗に演出しているからなのだろうなあ。
 それはつまり「恋愛の達人」や「不器用じゃなきゃ恋はできない」に端的に現れる不可知論的恋愛観の裏返しなのであって、その手に入れた瞬間に失われてしまうどうしようもなく憬れさせられる何かをこそ本当に価値あるものとする言説に、奇妙な説得力を感じてしまうのは何故だろう。
 結論も無く終わります。眠いので。

5月16日(木)  つい
昨日見る気もないと言い放ったアニメを見る機会に恵まれる。
 以下ネタばれ感想。

 なんかな。本人も認めてるらしいがにしても正視に耐えない2Dアニメだねえ。
 手抜きってそれをやってもまだ見られるものが作れる技術のある人間の特権だと思うんだけどねえ。痛っ。
 SF的なツッコミどころの多さも監督は認めているらしいしまあそこはどうでもいいと思うんだけど(折込済みだろうがなかろうが欠点は欠点だと思うけどね)、30分モノのアニメとしてはあまりにドラマが無くないですか?
 遠距離恋愛のドラマツルギーって物理的距離が心理的距離をも拡げてしまう事を基本に組み立てて行くものだと思うんだけど、ていうか恋愛モノって心理的距離が変化するそのダイナミクスを見せるものですが、この話の主人公二人ってどんなに離れてもホント思いは変わらないのね。ちせ(違)がズンパン、じゃなかったドンパチやってる間に先輩といいカンジになってこれはこれで、とか思ったりしないのね。そういう展開に引っ張れた部分さえもが随所にあるのがもどかしくてもどかしくて。例えばミカコの目の前には広い宇宙が広がっているのにそれに目を閉ざしてノボルとの関係に拘泥するの。
 で、この嫌気のさす日常を賛美して、それを相対化する視点はどこにも出てこない。巨大さへの渇望、”意味”の根源へ向かう、狂気が蔵す一千と一番目の貌がどこにも窺えない。それじゃ到底・・・
 あれ、あれ? 今俺何言おうとしてる? 到底? 到底SFとは? 到底SFとは呼べない?
 結論。こんなのSFじゃねえ!(けなし言葉)
 んっと、背景および2Dとのマッチング含めた3Dは上手いと思います。STOLZやCG連の水準を大きく上回るものではないけど。

5月15日(水)  後藤が帰ってきただけで良しとしよう。
 しとねと秋葉へ。
 通りすがりに『Wind』の看板に蹴りを入れようとするしとね。いや、そこまで役割演技に徹されても。
 しっかし世間(つーてもネットだけどな)の新海誠評価はヤケに高いっすな。言及してるサイト言及してるサイトまるで信者なのはなんかもうただブキミですよ。これだけ話題になってるのにこの検索でこのくらいしかひっかからないんですよ。ちなみに参考資料
 いや『ほしのこえ』見てないし見る気もないんだけどさ、そんなにスゴい事やってるのかね?
 バックが『木を植えた男』作った時とは時代が違うですよ?
 2D、3Dの動画編集アプリケーションはアホほど発達しているわけでさあ。労働量はダンチですよ。確かに一人でアニメを作った新海はエラいけど、バックの二十分の一しかエラくない。
 それからこの人、素人じゃ全然ないっしょ。ファルコムでムービー作ってたんだから。いわば軟式野球のエースが硬式野球に転向して、すぐに中継ぎで結果を出したみたいな話じゃん。エラさ西武の青木勇人くらい。結構エラいけど、稲尾に比べると大分落ちる。
 そして『Wind』のOP。世間じゃエラく評判いいんだけど、褒めてる奴らみんな『サクラ3』のOP見た事ないんじゃないか。路面電車がとても綺麗に塗ってある以外取り立てて褒めるところのないエロゲのOPとしか思えん。
 そこそこエラいけど、そこまでではないとしか見えないんだけど、どうしてそういう意見はあんま出てこないのかしら。


 学科の新歓コンパ。
 一次会はもうわけ分からんことに。指導教官になりそうな先生に「結局研究するだけですよね」とか吹かすし。なんだそりゃ。
 卒論は結構大ネタで、そこそこ期待されてるっぽく。がんばんなきゃ。

 二次会では卒論のネタは中古から中世の和歌なのに何故か太宰の世界的権威の助教授と話し込む。今年ゼミ取ってないのに。
 本郷文学部の文献実証主義の真髄とは何か、を教わる。
「文学青年を文献実証に駆り立てる情熱がある。自分を閉鎖的なところに追い込んで、そのがちがちな向こうに何かがあるんじゃないかと思わせるようなね」
 ああ、こんなところに科学少年の夢が転がっていた。

5月14日(火)  今日の新語;「オフ合体」
 やっぱりみんなこれに衝撃受けてたんですね。
 最早桜二等兵君は我々全員の期待の星だと言ってかまわないのではないか。
 メアドは聞いた? 携帯は? BBSに書き込みだ! 相互リンクだ! オフ会だ! 合体サークルだ! そして(略)
 この夢も希望もヘッタクレもあったもんじゃない時代、僕たちに許された一番大きな夢は無論、声優とケコーンでしかありえないだろう。その夢への回路を垣間見せてくれた桜君にはいくら感謝してもしたりない。
 やっぱそういう意味で川村万梨阿(川村万梨阿だぜ、川村万梨阿)と結婚している永野護は偉大な男だとしみじみ思いますの。
 永野護は三石琴乃と飯を食った後暫く「俺うさぎちゃんと飯食ったぜ」と自慢していたと言う。声優と結婚する事の価値を、この人は知っている。
 いいなあ。一つの理想だ。唯一つ、彼の人生に誤算があるとすればぜってー『FSS』が完結しない事くらいか。

 新規のお客さんが増えたみたいなので、用語辞典を作ってみました。
 おいおい拡充していく予定。

5月13日(月)  どうして前川が打てないんだ!
 不甲斐無え。

 罠、に掛けられていた事を発見しました。『宇治拾遺物語』のゼミに出ているですが、まあ、去年も出ていた四年生、経験者って事で最初のほうに発表するよう言われたとですよ。三回目の発表で、担当は第三話。
 まだ余裕があるな、と思って今日図書館に行って内容を確認したら、「三、鬼に瘤取らるる事」。
 ・・・ハァ?
 なんですか、かの有名な昔話、要はこぶとりじいさんでっか?

 ・・・研究とか無茶苦茶多いんとちゃうの?
 間に合いません。しかも長いです。語釈だけで何枚使う事やら。

 かおるちんぴーんち。にはは。

5月12日(日)  また桜君に会ってしまいました。
 レヴォ本番。
 夜明けまでビラ作ってたもんで基本的に寝不足のまま、不破さんの車に乗って会場へ。日曜朝で道が空いてるからすいすい進む。
 何の問題もなくサンシャインに到着、したところでカートを忘れていた事発見。バカ重いCDの詰まったダンボールを手で運ぶハメに。
 なんども体勢変えながら会場へたどり着いてみると講談社の試験受けたまさにその部屋ではないの。どんよりするなあ、いきなり。
 どんよりしつつ、両隣のサークルさんにご挨拶したり売り物を並べたり。
 準備を終えてからぼーっと待っていると場内放送が入り、イベント開始。例によってわああ、と拍手が巻き起こる。ホントどこから始まった風習なんだろう、これ。
 始まって三十分くらいは全然人が来ない。客を分けて入場させ、しかもその最初に入った客が大手めがけてまっしぐら、のレヴォなればこその現象だと言う。
 廃屋譚はそうは言っても壁配置。開場三十分をすぎたあたりから列が自然と出来始める。
 販売物三種類に配布物三種類。それを一人で捌こうと言うのだからまあ作業が早いはずもなく、ずるずると列は伸びてついには準備会からお説教。
 どうもご迷惑をおかけしました。
 売れ行きはそこそこ好調ながら完売はならず。
 帰りも不破さんの車に乗せてもらい、眼鏡研から自転車で帰宅。

 帰宅後は当然のように爆睡。十一時ごろに起きだして、昨日のアニコン見たりハピレス予約したり。
 いいなあ、ハピレス。ママたちが本当におかんに徹しているのはもう何がしたいのやら。

 いいレスラーだなあ、テーズさん。プロレスって何時からあんな風にWWF的になっちゃったのかしら。

5月11日(土)  幼く見えないカリンカ。
 新月お茶の会の合評会。
 特集責任者としてまたもまあいいんじゃない的扱いを受ける。
 まあ、読んでる奴は参加者だし読んでない人には評価が難しい企画だけど、ねえ。
 「月猫通り」2096号、テーマ「お前SFって言いたいだけちゃうんか」。
 テーマ特集「SF星に、いこう」。次は五月祭で売るはずです。よろしくお願いします。
 アホみたいな初心者向けブックガイド。
 ラインナップを見てニヤソとしていただければ幸いです。

 その後はいおくさんのアジト、眼鏡研へ。デモムービーCD-Rをばりばりと焼く。このCDではクイズの原案にちょろっと参加してます。一番お気に入りだった、届いた?1届イタ 2まだ 3もう少しって初音の問題は結局採用されなかったけど。

 一通り焼き終わったところで、CDに連絡先が載っていない事を発見。慌ててお知らせ用のビラを作る。なんかこういう雑多な事務文書作成が俺の職場っぽくなってきた。

5月10日(金)  検索に引っかかりやすいよう
タイトルを変えてみました。
 AmericanなOtakuの人からの検索が、これで万倍増でし。
 名付け親は、友達甲斐のない転叫院豊さんでっすの。

 友達甲斐のない奴め(5月11日の記述)。いや、別に悪いのは俺だしタカアキラさんのご指摘はむしろ有難いと思ってもいるので援護とかされても困るんだけど、ね。

 三日の日記の鈴木力さんについてのリンクを直しておきました。
 で、こことかこことかを読み返したのだけれど、そんなに鈴木さんの言い分は間違ってるかなあ。
 中島梓と言えば現代を代表する自他共に認めるプチカリスマ。その心性は一見女王様のようではあるが、王と奴隷とはその実紙一重だ。ホンモノ(とします、仮に)のカリスマ、奥泉光と比べてしまうと、その紙一重が破れてしまって奴隷根性が剥き出しになる、と言う事もあるのではないだろうか。
 それといくらなんでも小林泰三も喜んでいるはずはないと思う。作家さんってやっぱ自分の作品に異常なまでにプライドを持っているものだと思うので。
 自分は正統派の関西SFだと言う北野さんの言葉を一笑に付した創元の小浜氏を見ていても思ったし、その他色々見聞きして思ったんだけど、編集者って作家のプライドを微妙に理解していなくないですか?
 それを理解してしまうと仕事にならないって側面もあるんだろうけど、ちょっと作家さんが可哀そう。

 風呂場で古橋秀之について考えていてふと気付く。
 ひょっとして三村美衣女史は良いゼラズニィが真っ直ぐに好きですか? ゼラズニィみたいという古橋作品の形容は絶賛なんですか?
 深刻な話に安易にバカテイストのガジェットを持ち込んでわやになってしまったり微妙に冗長感漂ってたりどこかこうテーマ的な底の浅さが見え透いたりするお間抜けさんなゼラズニィではなく、華麗かつ疾走感溢れる美文を駆使し、縦横無尽に古今東西の様々なイメージを引用し、誰にも追いつけない美しい絵を描き出してみせるカッコよさの極みにあるゼラズニィを愛していらっしゃるのでしょうか。
 だったらなんだか物凄い失礼な事を書いてしまった。
 俺は前者も後者も好きなんだけど、っていうか東大SF研のゼラズニィ観てこういう感じで、それに俺は影響されているのだけれど、前者が見えなくなるくらい後者が好きな人も当然いておかしくない。
 そうかー。あの完成度の高さが売りの古橋秀之をお間抜けなゼラズニィに喩えるのってなんでなんだろうと思ってたらそう言う事だったのか。
 でも、それでも『ロードマークス』?

追記:
 五月十二日のコミックレボリューションに売り子しに行きます。
 場所はJ-22a、サークル名「小澄ちゃんがんばる!」か
 Z-40a「廃屋譚」。
 同人エロゲー『CAROL』の先行設定資料集などを売っているはずです。

5月9日(木)  『交淫天使 背徳のリセエンヌ』
を見返して、またもや感動。
 最高です。
 伊魔崎斎はやっぱり凄い監督だと思います。
 この女の子たちは生きてるよ。

(注;以下の記述は私の主観に基づいた、不正確かつ一方的なものです。実際にどんな事があったのかは、ここあるいはここにあるレポートを参照し、そしてそうしたとしても客観的な描写など得られないものとお考えください)
 タカアキラさんから再反論
 私の態度が悪かった事はまったくもって私の落ち度であり、それに関して責められたのならば反論の余地はありません。
 オーディエンスの皆様と、何よりも東氏に不愉快な思いをさせてしまった事をこの場を借りて心からお詫びさせていただきます。
 本当に無駄に喧嘩腰に、感情的な口調になってしまった事は反省しているのです。もうちょっと落ち着いていればもっと実りある議論が出来たかも知れない事も含めて。
 私のようなどこの馬の骨とも知れぬ輩のぶしつけな質問にも答えてくださった東氏の人柄にも好感を覚えるところ大でした。

 が、その私人である私と私人である東氏の関係と公人である私と公人である氏の関係に何の関係もない事はまた、事実です(だから私は東氏がどれだけあの場を公的なものとみなしていたかを見誤っていたのかもしれません)。
 そこで重要になるのは私が何を言い、それに東氏が何を答えたか、であるはずです。私がどう言い、東氏がどう答えたかではないのです。
 東氏が答えた内容を、私はタカアキラさんのように「どんなへちゃれた意見や酔っているために多少つじつまのあってない意見、また全く感情的な意見の全てに誠実に答えようとする」姿勢のあらわれだとは思えませんでした。
 公人としての発言の誠実さは、それらの相互無矛盾性、そして確固たる実証的なデータの有無によってのみ、量られるべきです。ただ、言われた事に行き当たりばったりに答えを返して行く事を誠実な姿勢だとは呼びたくありません。
 東氏がそのような返答をしがちな人物である事を、私は「大航海」の斎藤環氏との対談、氏のホームページに公開された原稿などから推測しており、その裏付けがとれたと思っただけでした。矢口・後藤紛争、センター争奪のドラマへの取材抜きにしてオタクのアイドル(キッズの人気者ではない)・ミニモニ。に言及するのが誠実な言論でしょうか?
 (注;以下の記述にある「自らの署名入りで流布するに任せてきた記事」は、東浩紀氏の2002年7月17日の近況によれば実在しないとの事。訂正してお詫びさせていただきまうs)自らの署名入りで流布するに任せてきた記事を、編集による勝手な改変だとして議論の場から除外する事は果たしてフェアな事でしょうか。
 小川さんに対し、東氏は『セーラームーン』がチャイルドアニメだと思っていると思われてもかまわなかった公的な(編集による改変は私的な理由でしょう)理由を明らかにし、チャイルドアニメ論を戦わせるべきだったのではないでしょうか。その議論の前提としてならば編集による改変が大きかった事は挙げてもかまわなかったと思います。また、そのような議論をこそ私は期待していたと言っても良いでしょう。(ここまで)
 東氏が豊富な知識、優れた着眼点と優れた表現力を併せ持つ、第一級の批評家たりうる資質の持ち主である事、これを私は大いに認めております。
 しかしそれと『動物化するポストモダン』のような、一部の人間に対する偏見を助長しかねない書物を十分な取材もなく上梓してしまった事の問題性は全く別です
 この本は、このようなコンセプトの本は、オタク第三世代理解の切り札となりうる本だった。だからこそ、それは慎重にも慎重を期して書かれるべきだった。
 学問、特に人文社会学が学問の名の下に様々な搾取を行い、偏見を拡大させてきた事をポストモダニストである氏は重々承知していたはずです。にもかかわらずデータベースの非人間性を安易にコジューブの動物性の議論に結びつけ(ここに決死の跳躍を見出し、メタレベルが変更されていると言う議論は可能ですね。事象の分析から氏の感情へ)、薬物依存などと言う言葉さえ持ち出してくる。これは依存症患者と第三世代オタクに対する二重の偏見の表れだと言ってかまわないでしょう。彼はオタクが萌えにより機械的に脳内麻薬を発生させ、禁断症状を抑えているという臨床例を持っているのではないのですから(オタク論への大脳生理学的なアプローチは面白いとは思いますが)。
 当時の科学者がそれは人間ではないと偏見に基づき結論したればこそ、ネイティブアメリカンへの凶行は可能であった事を、ここで指摘しておきます。無論、我々第三世代オタクが置かれている状況は当時のネイティブアメリカンほど悲惨ではありませんが。
 ただ、私とその同世代のオタクがこの本により不利益を蒙る立場に追い込まれかねない事をどうかご理解ください。それとそのような抑圧的な言論の主である公人東浩紀氏に、私人KAOLUが怒りを覚えてしまう事情、それを斟酌いただければ幸いです。

 重ねて、私人・東浩紀氏とオーディエンスの皆様に不愉快な思いをさせた事を、この場を借りてお詫びさせて頂きますと共に公人・東浩紀氏には『動物化するポストモダン』(意欲的な試みであったとは思います)の欠陥を克服した、90年代・00年代社会論の前提となりうるような仕事を期待させて頂きたいと思います。


 ・・・今日も結局夜更かししちゃった・・・。木金だけなのに。アニメないの。

5月8日(水)  ジェシー・メイピア
ってそもそも正義超人だったのか?
 うん、いや、でも強かったよ、ジェシーは。
 ビューティ・ローデスよりも強そうだった、いっそ。
 ていうかアメリカ編は血腥いばっかでなんかこう、分かりやすい超人が出てこなくて世間的にはどうなんでしょうね。
 俺? 俺は好きですが何か。

 卒論の仮題目報告会。先生の感触はなかなか良さそう。
 仮題目発表の時点で残れる人あるいは残りたい人とそうではない人って分かっちゃうね。
 俺はどっちだったのかしら。

 可愛いですね、司たん。斎賀みつきは日本有数の厨房ボクちゃん声優だと思います。
 それはそうとこのアニメの豊口の媚び媚びな愛らしさはなんなのでしょう。
 なんか、真下の録音演出ってヘン。
 録音演出ってもっと拘って見ていけるような気がします。鶴岡っぽい桑島だけは分かる。

 特にオチはありません。
 

5月7日(火)  おまつりが
おわっちゃいましたー。
 なんか何時になく毎年恒例の生物部OB会も切っちゃうくらいヘンに充実したGWを過ごしてしまったもので、奇妙な寂しさに囚われ中。
 はふぅ。

 『東京UG』見てるとあまりのつまらなさと安定しない割にはなんだかんだで可愛らしい線は割らない作画になんだかチェルシーのいやらしい同人誌が欲しくなってくる。
 なんだろうな、丁度F&C原作のエロアニメみたいなつまんなさ。だから最後の十分がエロシーンじゃないのが不思議に思えてくるのよね。これが俺の理解できなかったエロ同人欲って奴だったのか。勉強になりました。

5月6日(月)  眼鏡への愛が
成せる業か。
 唐突に書き始めためがねフェスティバル用穴埋め眼鏡小説が物凄いスピードで書き上がる。しかも予定字数をばりばり超えて止まらないという水増し王の漏れとは思えぬスーパープレイ。
 6500字を実質四時間。時間4.0625枚。
 んっと専業だと十時間労働で月1218.75枚、月文庫本3冊超のペースであります。若桜木先生には敵わないけどまあやや速めのプロ並みのスピードですな。
 休み中とかに力入れてこれくらいのペースで書いてりゃ『月猫』にもうちょいまっとうなもんが載せられるんじゃないのかしらね。ふっすぃぎー。

 眼鏡研で一眠りして本郷それから駒場へ。
 『月猫』特集用プチ座談会。兄チャマのお土産話もしましたの。
 やはりオタクで言えば第一世代、SFで言えば第三世代以下の人間にとって理論では笠井潔、実作では山田正紀ってのが今でも超えなきゃならん壁なのだ、と再確認。
 確かに東浩紀が笠井潔に対する挑戦権第一位を持っている事は疑いようがないと思う、けど。論の粗さを話芸でごまかすやり方では勝てないと思います。
 実作挑戦権第一位の上遠野浩平もそう言うところはあるなあ。

5月5日(日)  俺登場日記リンク。
 最初に確認したのは、”裏”日本工業新聞。なんかちょっとうれしいよね、いつも読んでる日記に登場するのって。因みに5月4日の「若者」ね。
 あとはTakaakira say
 こうして見ると俺の振ったネタ自体を書いてあるページは散見されるけど俺自身への言及は少ないっすね。
 で、タカアキラさんへの反論なのですが、「エロゲー」と「ギャルゲー」を使い分けるのは、オタクというトライブの中ではそれなりに多数派だと思われます。ならば、その特異なトライブの生態レポートとしての『動ポモ』にはその旨付記くらいはしておくのが学問的誠実さというものであり、署名記事に責任を持たない、と叫んでしまうライターとしては甘ちゃんなアカデミシャンの本にそれを求めるのは悪い事ではないと思います。そういうところでかけらの誠実さでも見せてくれれば俺はそれで満足なんだ。『動ポモ』がムカつくと言うよりもあの非科学的な本で分かった気になってる第二世代第一世代がムカつく。占い信じてるバカにムカつくのと同じ心理です。
 地方だとネットが革命だった、ってのは盲点。東京者の傲慢でした。
そいからmiraiko no web site
いや、だから友人の頼まれものですって。

 今日はこのくらいで勘弁してやる!
 ・・・なんかあまりに調べなきゃならんサイトが多いのでADSLが復帰してからに。

5月4日(土)  兄チャマと遊ぼう!
(注;以下の記述は私の主観に基づいた、不正確かつ一方的なものです。実際にどんな事があったのかは、ここあるいはここにあるレポートを参照し、そしてそうしたとしても客観的な描写など得られないものとお考えください)

(昨日の続き)
 日付が変わったのがどの辺だったのかよく覚えていないけれど、俺の見せ場が丁度終わったあたりからこの日の分にする事にします。
 がりがりと突っ込みが入っていくと、俺は無理してギャルゲー(エロゲー)をやったんだ、とかこの本(『動ポモ』)はほとんど嘘だ、とかの言い訳っぽい台詞が増えてくる。
 この本の記述に証拠はあるのかと聞くとないとのお答え。
 大人が言っちゃいけない事を言うとか水掛け論にしかならない事を言って水掛け論にしかならないなあと思って相手が引いたら俺の勝ち(ん? 「ルールは“リングアウト負け”のみ」
)とかの子供の口げんか必勝法を次々繰り出してくるこの人に、ああ、アカデミシャンとしての誠実さとかって期待するだけ無駄なんだなあ、と思う。
 ただ、いい加減な事を次々とハイテンションで繰り出してくるさまは、なんだかインチキおじさん風で好感度高し。エネルギッシュな攻めっぽい魅力があって、あの受け受けな相沢さんと仲が良いのも頷ける。

(追記;ここから先にかつて存在した記述は私が小川びい氏と東氏の議論から受けた印象を記述したものですが、東氏の2002年7月17日の近況によれば、小川氏の指摘は単純に事実誤認に基づいていたとの事。訂正してお詫びさせて頂きます)
(ここまで)

 企画時間終盤には俺に『動ポモ』を批判するならお前がオタク史を書いてみろ、と言ってきたのでじゃあ編集紹介しろ、と言ったらふざけんなと怒られた。
 それはないんじゃないですか? そっちが依頼してきた企画なのに。
 あ、でもタカアキラさんの日記に「ふざけんな(笑)」って書いてあったから怒られてないのかも。まあ、ネタだし。
 あ、でもオタク史書けって言うなら書く気あります。各社の編集様、ご依頼はkaolu4s@lily.freemail.ne.jpまでお願いします。

 ただ、どうも俺が言いたかった事は「『動物化するポストモダン』は非科学的な記述により一部の人間に対する偏見を助長するものであるから出版を差し止め回収しろ」と言う事だったらしく、流石に無茶だしそんな無茶な話を裁判の場でもないコンベンションなんかでするのは確かに失礼ではあった気がする。そこはごめんなさい。
 裁判起こすつもりはないので次の『月猫通り』の特集が反論っぽいので読んでもらえると有難いです。

 企画終了後、転叫院に頼まれたサインをもらいに言ったら思いのほかウケが取れた。
 なので、これをもって当面のオチとします。


・2002年春のSFアニメまつり
 『ロックマンエグゼ』がない、というプレイ。この春一番の傑作だと思うんですが。
 なんかこう、微妙にヌルくて不満の残る企画だったんだけど、一つだけ。
 日下さん、俺が指摘した通りやっぱり伊藤真澄は『悠久』の歌歌ってないです。畑亜貴、あるいは『エタメロ』と勘違いされていたのではないでしょうか?
 ふむ、こうしてSF十段に勝ってしまった私。秋葉で狩ったオタクオヤジがよくよく見ればヒクソンだったとでも言うような妙な気分。
 次のPRIDE、もとい、SF十段には僕も出なきゃダメですか?(笑)
 現状の試合形式だと十分参加出来ちゃうよな、三冊SF読んでる人なら。

 不満の残るアニメ企画の部屋を出て東部屋に戻ると、ある種のポリティカルフィクションこそが今必要なんだ、と兄チャマ力説中。
 イーガンとかがそうであると言うポリティカルフィクションがどんなものなのか今いち判然としなかったのだけれど、それについての本を必ず出すと言うのでまあ、それを楽しみにお待ちしております。なので見解保留。
 と、そこに絡み出すべろんべろんに酔っ払った浅暮三文。写真写りがあまりにそのまんまでちょっとびっくり。
 なにせ酔っ払っているので話は同じところを延々ループして、ポリティカルフィクションはこれからアリだって結論は共有してるっぽいのに全然話が噛み合ってないのがひどく面白かった。
 途中、東浩紀が横浜で塾講師をしていた時、阪神大震災の三日後に震災の存在を知らず神戸がどこかさえも知らなかった高三の生徒に対してどうすればよかったのか、の話題を東が持ち出す。
 その時彼は日本人なんだから知っておけ、と言ってしまったという。その事をひどく彼は後悔していて、でも、他に言いようもなかったと考えているらしい。
 それに対して被災者の浅暮三文は「しゃあないと思うよ」とのお答え。
 この先の二人の話し合いはお互い酔っ払いだけにもうただの水掛け論。浩紀兄チャマの子ども奥義を酔っ払い技で完璧に返す浅暮先生。
「どうするんだよ」「しゃあないやろ」「どうするんだ」「しゃあないんやないの」「どうすればよかったんだ」「しゃあないと思うよ」・・・。
 前に進めよ。ていうかその話題諦めろよ。
 二人があまりに諦めの悪い議論を展開していたためどうも脳内で混線を起こしたらしい柏崎玲央奈が浅暮三文に吹っ切れているような事を言いながら吹っ切れていないからそんな話をするのではないか、と完璧に勘違いした暴言を吐く。なんてヒドい事を言うんだ、と俺は思ったけれどどうも何故そんな事を言われてしまうのかそもそも何を言われたのか浅暮先生は全く理解できていないご様子。
 うーん、相手が何言われたかも分からないくらい酔っ払ってたから良かったけど、殴られても文句の言えない事を口走っていませんか、柏崎さん。
 そうは言っても神戸を知らない高校生はやっぱり仕方がないんじゃないかなあ。そこで仕方がなくない、と強制してかまわない根拠ってやっぱ客観的には与えられえないと思う。
 常識とか徳義心とかを相手が持っていると前提する根拠がないから。
 イヤな時代になったもんだ。

 最後は東浩紀が席を立ってそのまま戻ってこなくなってしまったので、午前五時ごろに解散。取り残された浅暮三文が言い過ぎたかなあ、とか反省してたのが印象深かった。


 最終的に俺からの『動ポモ』への反論は二つ。
 一つはデータベースが思いのほか豊かで人間的な可能性が残るんじゃないか、と言う点。
 データベースは、ジュニアはエネルギーが余っているので行間を読んで勝手に想像・妄想を膨らませる事を想定して作られているとも思えるわけで。ならば、エネルギーの欠けた大人には理解できなくて当然なのかも知れない。それは全く持って柳下さんの「ただの『最近の若い者は・・・』なんじゃないですか」というツッコミそのものですな。
 もう一つはウェルメイドな物語への欲求が深層で、萌えは表層的な振る舞いでしかない可能性があるのではないか、と言う点。
 SF的にいえばたとえ(空のむこう)のど真ん中でも周囲にカキの死を配すれば聖別された宇宙船の船内は生に満ちるという事だ。なんというか、子供に糞とかって名前をつけるカンジ?民俗学は専門ではないけれどそういう周りに穢いものを置く事で真ん中を聖別する発想ってあるはず。

 えっと、この二つはどちらもデータベース化と動物化の間の論理的なつながりが曖昧だという事なのですが。
 データベース化と過視化ってのは冴えた分析だと思います。

 細々とした話をすると、大塚英志に責任を取らせたいって言うのは禿胴。意味ちょっと違うけどね。「大塚英志の家に火を着けに行こう」とか言ってたらしいよ、東センセ。
 散会後、大広間で某氏(7.28訂正)にご挨拶。東浩紀についてのディベート的なテクニックの負けない議論をする人だ、とのコメントに深く頷く。

 某氏がお帰りになってから一眠りしてエンディング。帰路に着く。


 家で一眠りしてからはいおく親分の兄貴分、はいぼくさんの秘密基地・眼鏡研へ。
 レヴォ締め切りを控えて修羅場真っ最中の眼鏡研で、プロジェクトでの役割である賑やかしやら買出しやらを行う。
 ゲームの設定資料集もさゆまい本もいいカンジになりそうです。
 さゆまい本のフリートークは俺が書いてます。読んでね。はいおくさんをして「本当に頭がおかしい」と言わしめた傑作です。

5月3日(金)  昼間の漏れはちょっと違う
(注;以下の記述は私の主観に基づいた、不正確かつ一方的なものです。実際にどんな事があったのかは、ここあるいはここにあるレポートを参照し、そしてそうしたとしても客観的な描写など得られないものとお考えください)

 SFセミナーへ行く。
 待ち合わせ時間になってもSF研の後輩のしおり(♂)が来ないので、先に転叫院と合流して御茶ノ水のマックで昼食。
 そのマックで、転叫院から兄チャマと遊ぶための資料を受け取る。この二人の直接対決は凄い見てみたかったのに体調悪いから合宿には来ないとぬかしおる。ここは一発無理をぶっこくべき場面だと思うがなあ。
 マックを出たところでしおり到着。三人で会場へ。自由席の一番前に鞄を置いてロビーへ出ると、「川又先生お着きになりましたー」との声。
 声がした方を見ると、なるほど川又千秋が歩いていた。うおっ、生川又だー、と少し感動。もうちょっと逞しいかんじなんじゃないか、と勝手に想像していたのだけれど、思いのほか小柄なおじさんでこれはこれで川又千秋はこの人ですよと言われればなんだか納得が行く。
 コンベンションに来たのだなあ、と奇妙にありありと実感した。

・SF入門というジャンル
 どうしても俺には『エヴァンゲリオン』と『バベルの薫り』の売り上げ・受容の量的差異になんの意味もないとは思えないのでプロパーなSFは既に受け入れられているという認識に立つ巽SF観は理解出来ません。ので、それに基づいた『SF入門』も理解出来ませんでした。
 ただ、書き手のためのSFガイドだと言うのならば野田大元帥の名著『スペースオペラの書き方』があるはず。ああいうスタイルではない理由がどうも腑に落ちません。
 牧真司所蔵のSF入門書表紙のスライドは圧巻。

・かめ、くらげ、たぬき
 多分シャイな人なんじゃないかな、と思っていたらやっぱりそんな感じだった。正面切って作品の話とか振られると照れてしまうような。掴み所のないキャラクターは掴まれたくない何かを隠す覆面のようにも思えた。
 もう色んなところでレポートされている学歴やら職歴やらには大爆笑。
 飄々と語っているけれども卒研の機材を壊した時とかは内心凄い焦ってたんじゃないかな、とか思って聞いていると、なるほどあの照れ屋さんな北野作品の作者だなあ、と思う。

・立ち上がれSF新レーベル! 編集者パネル
 興奮して寝付けなかった反動で、ちょこっと居眠り。特に目新しい話はなかったように思うけれど、みんなが「電撃さん」の名前をいろんなところで挙げていたのが印象的。
 「海外SFはやらないのか」と聞いて見た結果、あとで思わぬ良い話が。

・小説の可能性を求めて 奥泉光インタビュー
 司会はあの、鈴木力。それだけでちょっと楽しかったのだけれど、奥泉ファンだったからあの時そんなに怒ってたのかなとか邪推。
 なんかこう、ジャズが好きって言い出す奴特有の素敵な文学者様って感じのキャラクターに思わず反感を覚えそうになったのだけれど、途中からはっちゃけたところも見せてもらえたので最終的には多少好感度アップ。『鳥類学者のファンタジア』文庫落ちしたら読むかも。
 終盤、「純文学コンプレックスについてどう思うか」という会場からの質問に露骨に恐縮する鈴木さんハアハア。

 昼の企画終了後、御茶ノ水のKFCで夕食を済ませ、転叫院と別れてしおりとふたり合宿会場へ。
 大学の無茶苦茶近所にこんなに大きな旅館があるとはまるで知らなかった。
 オープニングまで大分時間があったので、男性部屋のテレビを付けてみると、チャンネルがなんだかヘン。NHKとNHK教育が複数割り振られていて、しかも東京圏標準の134681012では全然ない。
 首を捻りながら時間も近づいたので大広間へ。柳下さんがいらしているとの事だったのでご挨拶を、と思ってふらふらしてみても全然見つからない。
 後にするか、っていうか忘れられてるような気がするなあとか思っていると古本の販売が始まる。どっかのバカがティプトリーの本にアホな前書きを、とかどこの馬の骨とも知れない奴がアシモフ様の傑作を蛇足な長編に、とか言う言説を聞くとちょっといやんな気持ちになるくらいにはシルヴァーバーグが好きなので、『ヴァレンタイン卿の城』以外のマジプールものを絨毯爆撃。安い。シリーズ第一作がないから読めないんですが。

 オープニングはつつがなく進み、合宿企画がはじまった。
・SF十段
 SF知識に長けた人々を「SF九段」とし、彼らが選び抜いた究極のSFをプレゼンテーションし、より優れたプレゼンテーションをした方の勝ちというルール。トーナメントで勝ち抜いたものを、SF十段と認定する企画。
 対戦は
一回戦第一試合
◎日下三蔵 『石の血脈』半村良 21
 三村美衣 『ロードマークス』ゼラズニィ 20

一回戦第二試合
◎大森望  『時間衝突』ベイリー 27
 大野万紀 『楽園の泉』クラーク 11

一回戦第三試合
◎山岸真  『ハイペリオンの没落』シモンズ 20
 牧真司  『非Aの世界』ヴォクト 18

準決勝第一試合
 水鏡子  『故郷から10000光年』ティプトリー 5
◎日下三蔵『声の網』星新一 32

準決勝第二試合
 大森望  『ハイペリオンの没落』シモンズ 1
◎山岸真  『祈りの海』イーガン 37

決勝戦
◎日下三蔵 『旅のラゴス』筒井康隆 21
  山岸真  『一兆年の宴』オールディス&ウィングローブ 19

 個人的には『ロードマークス』が絶対ここで挙げられてはならないレベルの作品なのが楽しくって仕方がなかったので三村女史には頑張って欲しいところだったけれど、むべなるかな。いや、まあご本人が日下氏の方に手を挙げていたからもういかんともしがたく。その一票で勝敗は逆転していたのにねえ。

・北野さんと一緒
 北野さんに色々お話を伺おう、というそれだけの企画。東京創元社の小浜徹也氏が聞き役に回って、実に巧みに北野さんから創作論を引き出しておられた。
 牧野修とは創作法が違うと思う、という話が印象的。

・オタク第三世代は、本当に動物化しているのか?
 本日のメーンエベント。
 現れたナマ東浩紀は、お茶会編集長のこいつに良く似ている。目元にやや福福しさが足らないが、頬の感じ、輪郭線などは本当にそっくり。見た目強そうランクB++くらい。結構強そう。
 
 議論の口火を切ったのは俺で、それは例の「ギャルゲー」という言葉の使い方について、から。これ別にオタク的な拘りとか全然そんな事じゃなくって、この人の学問的不誠実さを暴き立てたかっただけなんですけどね。
 このツッコミに対しては「講談社現代新書でエロゲーと言うのが憚られた」という言質を取ったとです。アカデミックな書物にそういう遠慮は無用なんじゃないのか。対象の精密な描写のほうが重要なんじゃないでしょうか。アカデミックな書物じゃないなら別だけど。
 さらにギャルゲーブームと不可分に結びついた声優ブームを批評的に黙殺する意図があったのではないか、と突っ込んだところ、声優は理論的なネックだと認めさせるのに成功。
 声優ブームの意味についての本格的な論考は多分90年代の特異性を顕に出来る気がしますが、俺の仕事なんですか?
 エロゲーがただのエロではない事を表現する意図もあったらしいけど、そこでポルノグラフィーとしての出自を捨てる事は果たしていいのか悪いのか。俺は悪い、と思っている。現存するノベルゲーの大半(keyくらいかな、例外がもしありえたとして)からエロを取り去ったら、恐らく売れない。作品性がたとえそこから自由であったとしても商品性がそうだとは限らないだろう。
 ここと少女漫画のエロ化の話を絡めるとまたなんか出て来そうな気がします。これも俺の仕事ですか?
(続く)

5月2日(木)  大学デビュー。
 SFセミナー行きます。
 兄チャマを罵った後、兄チャマの舎弟とチョメチョメする予定。
 カタルシスっぽいよね、ちょっと。でもきっとなんにも言えないんだろうなあ。萎え。

 詳細はレポートを待て!

5月1日(水)  『ごくせん』見逃した。
 鬱だ死のう。いや、そんなに。
 眼鏡の仲間由紀恵も綺麗だね、って言うか綺麗な仲間由紀恵が眼鏡をかければもっと綺麗になるのは理の当然やね。
 はあ。ため息。ハアハアとかそんな事ではなく、ただ、綺麗だなあと。

 暮早さんに否定神学者扱いを受ける。
 失敬ないや別に失敬って事はないけども。
 今は姿を顕わしていない正しい何か、を希求する事を否定神学と呼ぶのならば確かに俺は否定神学の人なのだろうねえ。
 ただ、世界が間違っている事はあまりに自明なので、どうにかして正しくしたいがそれがこの世界の内側だけで本当に可能なのか、と思う事は当たり前だと思う。
 その当たり前にたどり着かない人が世の中には時々いる。
 とても、不思議ですね。


 成田! 成田! 成田!