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◆2月28日(水)

 やってくれる。いつもながら。
 いいから読め。だから正確な視線とか評したくなるんだよ畜生。

 うちの読者サマは2/23あたりからどうぞ。
 いつぞやの日記の「SUMMER篇って学園エヴァだよね」ってのにリアクション返そうと思っていて、まあそれは要するに受け手に優しいかどうかってことなんだけど。というかそうだろうと思ったんだが。
 で「話(の見せ方)」と「キャラクター」のどっちかあるいは両方かって気になっていたわけですが。何がってつまり受け手に優しいのが。まあ分ける必要もないかもなのでいっしょくたに語る。
 で、受け手に優しくわかりやすく、因果が説明される。かつキャラの相互関係も、なんていうか居心地いいというか。ちゃんと色々なものを共有していて。柳也(だっけ)も、ちゃんと自分の過去をヒロインに語ったりする。
 キャラの造形レベルでも、麻枝キャラとは非常に差がある。あったかい手袋はめて撫でてるのと皮の剥がれた指先でつんつんするくらい感触が違う。神奈も裏葉もなんというか安心して接していられる。観鈴はいっしょにいて安心できない。既にあちこちで言われるようになってるように晴子も往人も勝手だし。やりきれない。 

 今の世の中「綾波系」とか「アスカ系」とか言われる美少女キャラはいくらでもいるわけですが、ほとんどすべてが学園エヴァの方の後継であるわけで。本家綾波は聖母でも絶望共感媒体でも境界例でもなく得体の知れないモノだし、アスカは強がってるけど実はトラウマ持ち(ヒステリー化)の弱い子、ではあるかもしれませんが、決して男に救われたり好きになったりはしない。

 イフリータより萌えるロボ娘ってのは難しいですな。むしろ「保証期限でも切れかかってんじゃないのか?」萌え。あとゼンマイ穴が。嘘。

 「雫」の瑠璃子さんは、自らの意志で兄を選ぶわけよ。俺じゃなくて。それが決定的に異質。「こうしなければ、私はおまえと出会えない」とは全然違う。それとも、そういう話をしているのではない?

 ロボ、ロボ、ロボと言い続けた結果です。耳、耳、耳とか。頭の中でサイコロ振ったらロボが出たってだけっすよあたしゃ。あとは言い続けた積み重ね。夏町さんがどっかに書いてらしたアレが現在の僕を規定してたりしなくもないです。
 本質による定義ってのは僕はあんまり信じませんけどね。
 無力感への嗜好というよりは、アレイスター・クロウリーによる魔術の定義とか、ああいった発想が嫌いなんですけどね。僕は。なんつうか認識-意図-行為-結果の連続性を疑わない思考に耐えられないというか。つながってるものを見るとバラバラにしたくなるんです。何度も言ってるなあ。

 エンジェリックレイヤーは錦織博なんですか。ウテナと天なるくらいしか知りませんが。あとラブひな?

 ■体験をタテにしてモノを言う
 ARMさんの「敗北を知りたいか」。
 野阿梓「「消えた少年たち」をめぐって
 林さんの5/19

 下は閉鎖した(?)源内考察から。ARMさんとは対照的。
 「また唐突と言われる秋子の交通事故だが、実際にKanonで語られる悲劇の中では、一番、現実的な悲劇であり、交通事故による悲劇とはいつでも突然、襲いかかってくるものである。自分の経験で説得力を持たせるのは、こういったところでは、反則に近いが、実は私には経験がある。私は、交通事故で結婚式二カ月前にフィアンセを亡くしたことがある。まあ、そんなことはどうでもいいのだが・・・。」

 
 ひらしょーさんのこれ

 いや、使えないってことはないと思いますけど。会話してるときずっとこっちの方を見てるとか、または横顔が目に入るとか、そういうシチュエーションは萌えるかも。萌えは何よりも差異が意識化されることであり、そうであればこそわかりやすい外見や口癖の特徴が方法論として選択されもする。逆にいえば、差異さえ存在すればいいともいえる。
 「彼女はクラスメイトと集まって会話しているときでも、いつもちょっと横を向いていた。じっと聴き入るように耳をそばだてているその仕草が真剣でなんだか可笑しくて、だから、それが彼女が気になった最初ということになる。」「二人で話しているときは、彼女の目は少し下を向いて、ずっと視線は固定したままだった。決して目を合わせることはなかった。僕は不謹慎だと思いつつも、そんな彼女の目を一方的にずっと見ていたものだ。」「彼女がなぜそんなことをしていたのか、僕が知ったのはずいぶん後のことになる。最初に襲ってきたのは罪悪感だった。そして、罪悪感の埋め合わせのようにますます彼女への好意がつのっていったことが、僕を滅入らせた。」「もしかしたら、そんな風に感じるべきではなかったのかもしれない。たぶんそうだろう。」

 七瀬の腰ってのはわりと絵にならない部類だと思うのですが。「絵になる」悲劇は久弥直樹の担当。

 澪と一晩学校に泊まっても何も騒ぎにならなかったり、繭が平然とまぎれ込んでたり、まあ色々と探せばいくらでも。なんつうか「そういう世界なんだ」という風に納得した覚えが。作品としての出来にかかわる問題ではないとは思います。優先順位ってものがありますし。
 悲しみの雨に打たれてるシーンで「でも雨が降らなきゃ農家の人が困る」なんて言い出しませんし。

 あと、「ふふふの光」にもリンクしておくべきか。聴覚障害者によるエロゲーレビュー。見聞を広めましょう。Kanonは誉めてたけどONEはどうなんだろう、とやはり思ってしまう。  

◆2月27日(火)

 エピクロス・リーンク!(謎)
 「哲学の劇場」の「エピクロス哲学」書評。MK2の人が買われたのはこれですか?

 以下はすべてKURUKURU'S CATALOGから、
 対戦型哲学史
 読書猿
 人生論
 ピンホール
 ポンヌフの恋人

 しのぶさんにそういうこと言ったのはわたしだったので、まあその、自己顕示欲が。本日の読み物はこちらなどいかがですか、とか。

2月26日

「あたしは、ひどいヤツで。ほんとうにとんでもないヤツで」
「悪いと殺されてもいいのかい」(「歪曲王」)


 なんでそこでドリアン氏の顔を思い浮かべるかな自分。死刑ってのはつまり、倫理は存在より優先されるべきである、という発想かもしれず。いいかげんなこと言ってますね。

 ちなみにソープには行ってません(質問があったので)。オタクとしては生身の女は苦手とか言ってみたくもあるわけですが。「ナデシコ」でもっとも理解しがたいセリフは「しょせんは二次元の女だ!」なんですが。2D!2D! 平べったいあの娘に首ったけ! あと金が無い。

 一昔前まではオタクといえば、現実社会における競争からとうに降り、フィクション(の体験)の中に自我の居場所を構築した人々のことであり、いいかえれば自身が現実社会でいい目を見ないことを当然と心得る(だって現実を捨てたのは自分のほうなのだから。それが結果と原因を逆転させた自己欺瞞であるとしても、覚悟として)ような人々のことだったような気が、たとえば中島梓「コミュニケーション不全症候群」や別冊宝島「おたくの本」を読んでるとするわけなんですが。一文が長えよ。

 「いろいろ」については、現実の正常な恋愛しか視野に入ってないように見えますが。「社会に受け入れられている基準にそって努力するしかないし、それでも駄目なことはある」という結論しかありませんかね。あと「現実の自分」を優先せねばならないんでしょうか。いや、結局自分何もかわってないじゃん、って感覚はわかりますけどね。人間は自分が変わらないためにこそ、たとえば現実に前向きに生きないためにこそ「前向きな主人公のフィクション」を代理満足として消費するのかもしれない。現実には都合の悪いものに目をつぶって生きる補償として「都合の悪いところもきちんと描いたフィクション」を、求めるのかもしれない。人間には残酷だが動物には優しい人みたく。

 まあ、困難は分割し具体的に各個撃破するべきであり、一般化抽象化に走っても意味ないってのは(そうおっしゃってるのだとすれば)わかる話ではあるのですが。MK2さんが書いてましたかひょっとして?
 まあ、あたしゃ無理に他人と付き合う必要ないじゃんって思ってしまうたちですが。そのままの自分を正当化し心の平安を得るのもテだ。社会性なんて死なない程度にあれば死にません。君の外見なんて加奈は気にしませんよ、とか(時事ネタ)。
 だって多くの同人女子はそうしてるじゃん、ってのはナシですか?


 「それでも駄目だった」あるいは「どうやっても駄目かもしれない」ということがありうるならばやはり「現実に帰」るべきか否か、という問題は出てくるようにも思えるのですが。
 出来レースどころか、いかなる可能性の条件のもとに、人は自分を肯定しうるのか、という古くて新しい問いを現代にふさわしい形で問うとか、まあいくらでも思いつくけど。

 たとえば「他者による承認」と「自己肯定」のあいだには無限の深淵があり、飛躍が必要なのではないか。高橋氏のONE論が解せないのはひとつはこの点によるわけですが。誰に認められたって自分で認められなきゃ同じことだし。あと「シンジ君向け」の部分がどうも弱いっす。ナディアだって説得できません。すでに好かれていたこと、いくつかの偶然、自分は祝福されて生まれたのだ、というアリバイ、どういうわけかその時ようやく他人のキモチが意味ある存在として理解できたこと(誇張した解釈ですが)、等々の契機が荷担する必要があったわけで。

 つっても現状では「一番ダメな自分は残る」「なんとか自分を肯定できるようになる」「理不尽に幸せになる」の3択くらいしか思いつかない。
 いや待て、だとすれば問題を少しずらしてやってもいい。
 たとえば「誰かに好かれることによって自分を肯定できる」という(なんつうか倫理的な)問題をすこしずらせば「あなたに想われて、わたしがいる」(神林長平「プリズム」)という存在論的な問題になる。亜蘭氏がすでに書かれていてることですが(そして必ずしも支持している見解ではないのですが)。
 あと僕は「ONE」については、表層的には明白に「存在/消失」というか「ここにいる/いない」という問いであるはずのものが「ここにいてもいいの?」といった問いに平然と(本文を無視して)読み替えられるのが我慢ならない人ですから。

 逆に本来なら「ここにいてもいいの?」という問いであったはずのものを「こうではない自分もありえるんだ」という存在論的な問いにずらしてしまったのがTVエヴァ最終回ってことで。だから変な気がするんだよあれ。ごめん今思いついた。

 まあ現実にはのべつまくなしに混同されてることですから、いちいち目くじら立てる方がおかしい気がしなくもない。  

◆2月25日(日)

 トニートニー・チョッパーに対するモンキー・D・ルフィーの「うるせえ! 行こう!」は名言だなーと思う。もしルフィーがかわりに「君のいう理屈はすべてではない」と言い出したら目もあてられないだろう。
 実のところ、「小僧、ソープに行け」ってのは具体的な行動指針であり、なんら一般論や真理を語っていないという点で別に悪くないんじゃないか、と最近は考えてる。というか気付いた。

 コミュニケーションに不安を抱えている人間の紡ぎ出す論理に対し、「君はそう言うけどね、世の中はそうじゃないんだよ」なんて答える人間は馬鹿だと思う。そんな一般論ではなく具体的な方策で答えるべきだ。
 泳げないことで悩む人間に対しては、手取り足取り教えてやるか、ほっておくかだ。「泳げるようになるにはね、カラダで覚えなきゃいけないことがあるんだよ。水泳に関する理論をいくら蓄えても泳げるようにはならないよ」と言うだけ言って何もしない中途半端さが僕を苛立たせるのだ。たしかに正しいことを言っているのだが(言っていることは正しいのだが)、「正しいことを言うこと」が正しいとは限らない。説教する快感を得たいだけなんだろうと思う。
 「理屈を越えたものが必要なわけでしょう」って理屈を語ってしまうこのはいったい何だろう?
 僕は故意に「理屈」という、どうとでもとれるような曖昧な言葉を使っているわけですが。論理とかロジックってコトバを使うと成り立たないし。

 「コミニュケーションは論理的に行われなければならない」「理詰めで反論できないように突き付けられた主張には納得しなければならない」ってのは過剰な読み込みだと思うのですが。

 女の子モード。こういうこと書いてサマになりやがるんだよなあこのひたー。ところで全然関係ないんですが「ひらしょーさん」(一時期そう呼んでた)と「知佳ぼーさん」って似てない?
 関連してこれ。Fayさんの日記にも同種の記述があったような。<探しなさい自分

 平山さんのSenseOff感想。これがリンクせずにおれようか。

 あと、「感動系と萌え系」という問題の立て方がそもそもよくわからなかったので、これ読んでようやくわかったっていうか。感動の質というか形式の分類って発想?

 「adieu」デモの感想をあさったり。

 個人的につけ加えておこう。
 「ハッピーエンドのない「雫」が見たいか?」「ワシもじゃ、ワシもじゃみんな」。
 むしろ「雫」が、あるいはエロゲーに限らなければエヴァが開けちまった門をどう閉めるか。どう終わらせるか。期待があるとすればそちらの方で。
 消費しつくし蕩尽しつくし地平を焦土と化し「終わらせる」こと。コロニーというコロニーを落としつくすこと。昨日はGガンから引用してしまったが、よくよく考えるとガンダムXの第一話を見たときの気分に近い。むしろ、NewtypeのGUNDAM FIXにおけるKazuo Ichiokiの文章。
 まだまだ不徹底なのだ。「雫」で瑠璃子さんが帰還したり「MOON.」で郁未以外が生き残ってしまったり、そんな茶番が、ゲームだから結末に幅をとか受け手の多様なニーズに応えるためとか、つまるところ節を曲げたものしか存在しなかったではないか。
 たとえば「雫」においてもメインは月島兄妹であり長瀬ちゃんはあくまで傍観者=探偵(「密閉教室」とか)の立場であり最後はレフト・アローンであり「あなたには翼はないのだから、そこで幸せにおなりなさい」であり、オモイデ教とそう差がある気はしない、と述べたくともハッピーエンドの存在が邪魔をする。現実が色づいて見えてしまったときに、彼は泣くのだ。と述べたくともそれ以外の要素が邪魔をする。そういう不満を投影してしまっている面もなくもないが。

 「+α」がどのへんにあるかといえば、「女の子がそろいもそろって(主人公=受け手に)優しくなさそうなところ」ですかね。どいつもこいつも会話してるだけで非常に気まずそうな匂いを漂わせているところが。なんだかんだ言って、挙げられてるゲームはそれなりに女の子が優しかったり居心地のよさがあったりするじゃないですかどこかに。一人ぐらいは。ナデシコの女性キャラはどいつもこいつも視聴者に厳しい感じなんですがルリだけは例外とか。
 まあヒロイン陣が優しくないゲームってえと「矯烙の館」とか「果てしなく青い、この空の下で…」あたりもあるわけですが。というか「青空」は文乃がいちばん和むってのはどういうことなんだ。
 麻枝キャラも掘り下げれば決して受け手に優しいとはいえないんですけどね。「コミュニケーションがあらかじめ切断されていて、その切断面が剥き出しになっている」(ピュアガの更科修一郎インタビュー)。

◆2月24日

「一番ダメな私は残るの」

 というフレーズが「adieu〜さよならを教えて〜」デモの中にあったわけで。ようやく見たんですが。(本家が重いというハナシなので)落とし先はここ。グラッツィエ!

 さっぽろももこさんのとこから飛んだ「さよならを教えて」デモのミラーリンク集。「PUSH!」誌のCDにも入るらしいんだけど。

 色々知りたい方は雪駄さんとこなど読まれるとよろしいかと。

 絵師の長岡氏といえば「はっちゃけあやよさん」(ムックは必見)であり、「地獄SEEK」であり、「flowers〜ココロノハナ〜」である。ものすげえラインナップ。個人的にはショートカットの絵が好きです。今回は眼鏡もついてるのか。ブリッジを指で押さえる冷たそうな仕草がたまりません。

 最近の僕としてはこの人に感想聞いてみたい感じ。オーケン論書いてたし。

 作品紹介はこっちよりこっちを見るべし。狂いっぷりが。

 くっ……くはっ……くはははははは! 鳴りやがった! 鳴りやがったぜ! ガンダムファイトのゴングがよお!
 デモの感想はそんな感じです(わけわからん)。

ヒロインはプレイヤーの鏡

 当然出てくるであろう論、という気しか。美少年はヤオイ少女の鏡。

 最初に断っておくと、僕もやはり特にリアクションを求めているわけでなく、自身の立ち位置を確認するために書いてます。あと読みにくいので軽く読んでわかんなかったらボクのこと忘れてください。


 僕としては、かつて栗本薫/中島梓が「少女たちにとっての少年愛というモチーフ」について述べたこと(「翼あるもの」(文春文庫)のあとがきとか。20年前の文章)を想起せざるを得ない。かつては少女たちが愛される少年/愛する側の青年に仮託していたことが、ある種のギャル/エロゲーにおいても起こっている……というのが僕の持論というか妄想なんだけど。
 置かれる文脈の移動をみる分には面白いけど、それ自体としては特に面白いとは思いません。言われてみればそういう意見はエロゲーに関してはあんまり見かけない気もするので、僕にとってはともかく一般的には面白いと呼べるかもしれない。
 ただ、MK2さんとかわりとストレートに「きれいな女の子でありたい」って書いてしまってたりするので、そういうの読んでしまうとどうでもよくなる類の論ではあります。

 なぜ碇シンジは14歳の見目麗しい少年でなければならなかったか? なんてことを考えたことのない人間がいるのだろうか。誰しも自分が彼のような少年でも、彼のように絵になる悩み方ができるわけでもない、ということくらいは承知していよう。庵野秀明自身の言及にも「それではキレイじゃないから」くらいのものはあったと思う。

 「言ってもらいたいセリフを言ってあげる」以上は「言われる側」である少女との自己同一視はあるとみていいのでしょうか。(まあ日常的にも、自分が言ってもらいたいことを他人にも言ってしまうものだし。逆に、自分がされたら嫌なことは他人にもしない、というのは当然の良識でもあります。)

 萌えるキャラってのは同時に「そうでありたい自分」のことでもあります。これとか。僕はわりとセリオになりたいんですが。
 エロマンガにおいても、読者の自己同一視の対象はもっぱら女性キャラである、なんてのはわりに昔から言われてる気がするし。ただここで、自身の性欲をまともに肯定できない男のための云々、といいたくなっても、たとえばフランス書院においても事情があまり変わらないことを考えるといったんは思いとどまらなければなるまい。

 一般論として言うのだけれど、描写配分・傾向の量的質的な検討から導き出されているとわけでもなく、単に目につく特徴を拾い上げて思いつきを述べる、という程度の論はどうなんだろう、というか「なぜその論が成立するのか」「検証はどうやってするのか」ってのが気になって仕方ない。まあ、珍しくもないことですが。
 根拠らしい根拠も示さずに他人の心理をどうこう言うのは要は「下衆の勘繰り」にすぎないわけで。たとえ結果的に正鵠を射ていたとしても。

 オタクってのは自虐的な分析を好む面があるのでちと厄介ですな。何言われても「言うと思った」と返すのは半ば習性です。

 ■メタフィクション
 僕もまあ法月綸太郎のファン(うちのトップページは「密閉教室」文庫版のカラーリングです)だったりするし、笠井潔もそこそこ読んではいるし、たとえば「現代思想」の「メタ・ミステリー」特集は買ってたりするわけですが。しかし「受け手の心理」についての分析ってのはちょっと違うような。「自分を素直に認めることができないが、認めたいオタク」という存在をあらかじめ前提し、「受け手の心理をこのようにくすぐっている」なんてのはどうも違和感がある。
 僕の知る限りでは、作品の形式的な分析から、読者(受け手)が、望むと望まざるとにかかわらずいなおうなしに置かれてしまう立場、を導き出すのがスジなんじゃないかと。まあ探せば例外はいくらでもあるでしょうけど。
 たとえば、「ONE」において、「ヒロインの視点が描かれる」という特徴から「自分を失って悲嘆にくれるヒロインの心の中に直接アクセスすることにより、自分の価値をより実感できる」という解釈を導き出すのはどの程度妥当か。
 ろーたろう氏の件の発言はマルチについて述べられていたと思うのですが、一般的においしいシチュエーションであろうことは十分納得がいくのですが、マルチについてどの程度あてはまるのかとか、そういう検証可能性の弱さがむしろ気になるわけで。

 まあ、一般的においしい(ユーザーの心をつかむ)のは何か、という模索のために発せられた、作り手としての立場の言に対し、「個別の作品に対し何がどの程度正当に主張しうるか」という、あくまで受け手的な関心に支えられた僕の意見が合わないのは当然なんですけど。

 今回のは自分の立ち位置の確認ってことで。あと、こういうこと書いてるの楽しいです。有り難いと思う。

 で、マルチについては「再会」を蛇足だと感じた層が相当数存在したはずなんですが。にもかかわらずいつのまにか「別れと再会」で括ることがあたりまえになっている。
 あるいはONEに関しても「消失」のビジョンに圧倒的に魅せられた層(「帰還」「再会」なんてほとんどどうでもいいというか、あれはもうヒロインの側の問題で自分のことではない、たとえば主人公の「帰還」をそのまま受け取らず、ヒロインの「立ち直り」すなわち自分という存在をほんとうに忘れ去り必要としなくなることのメタファーだと感じるような層)が昔からいたし今でもいること、「再会」についてほとんど言及しない論がそれなりに見られること、等を指摘しておきたい。

 T.E.ロレンスの望みは「友人に忘れ去られること」だったというが。神坂智子のマンガしか知らないけど。

 コンプティークのクリエイターズコラムを読んだ限りでは、麻枝准も「もう一つの世界」とか「消失」に圧倒的に魅せられたとは書いてるけど、再会云々についてはかなりどうでもよさそうなんですが。

◆2月23日(金)

■ロボ萌えとか

 OnlyYouリ・クルスのキャラデがえれえ気に食わない今日このごろですが、皆様におかれてはいかがお過ごしか。まあ、僕はミュ以外どうでもいいんですが。

 大昔、鴨川の河原で飲んでいたとき(月見コンパだったか?)、とある先輩にお遊びの心理テストを仕掛けられました。好みのタイプの条件を二つか三つ挙げさせます。「まず人間じゃないこと、ロボであれば尚良し」「髪は青か緑」それしか覚えていませんが。で最後に「じゃあ、それらの条件が同じだったらどっちを選ぶ?」「自分を必要としてくれる方」。
 もちろんこれは最後の問いが本命なわけです。ここで「体に継ぎ目がある方」とか答えればよかったのかもしれませんが、まあ俺のロボ萌えなんてその程度です。

 ドストエフスキーの「罪と罰」(わざわざ「ドストエフスキーの」と断らなければならないのがエロゲー関係の日誌らしいですね)のなかに、主人公の妹だかに求婚する相手の本音がたしか「より愛される可能性の少ない相手であるほど、自分の有難味を思い知らせることができる」というもので、ロボ萌えってのはそういう意識が働いてるかもしれませんね。
 ロボあるいは人間じゃないキャラに対するとき、自分は「人間である」という以外に何者も要求されないすこぶる気楽な立場でいられるとか、ロボなら人間であるだけで尊重してもらえ憧れてもらえたりするとか、ロボットとつきあう精神的メリットは計り知れません。人間の屑ですな。
 また一方あるのは、噛み合わない会話であり、自分の言っていることを相手に理解させることができない、という事態であり、どうあっても相手が機械でしかない(「機械にすぎない」とはつまり、共通する基盤をついに持ちえない絶望だ)、そうした無力感を味わうのもまたよし。というか噛み合わない会話ってなんであんなに萌えるんですかね。
 そして、実は少しも理解していないにもかかわらず、仕草だけは以下略、というのもまた。

 ただひとつ僕の中に存在しないのが「自分の色に染めたい」という欲望です。こればっかりはさっぱりわからんです。だって自分ですよ? だからちぃはいつまでもちぃとだけ言っていてくれ変わらないでくれ頼むから! とかそういう痛みもまあ「ちょびっツ」読む上では娯楽だったりしますが。

 ようやく話が「ちょびっツ」に行きました。先日「づしの森」のあしあと掲示板の企画で「ちょびっツ」の萌えゴマ当て大会に参加してきたのですが。管理人の萌えゴマを当てるという名目で自分の萌えゴマを語るという。なんでこの子は耳を開けるときにも「ちぃ」っていいますか。
 最近はむしろ秀樹がかわいいかも。何も知らないで幸せになってるのを見るとなんかこう。あと稔様。このマンガを読むってのはこの二人(まあたいていは秀樹だけど)の表情を追いかけるということなので、読んでるとそっちばかり印象に残ります。「ぴたテン」でもコタロー君の表情を追いかけるしかなくなるし。つまり基本の視点人物なのでベースとなる雰囲気も彼らの精神状態=表情によって示されるので、「これはどういうシーン」かとか絶えず気になってしまう人としては自然と。明確に固定視点が存在するマンガって珍しいのかもしれませんけど。これが守護月天なら視点人物はそのエピソードのヒロインやら出雲さんやらであることがむしろ多く、太助の表情などほとんど印象に残らないわけですが。

 「まねっこ」については、グランディア2のティオというキャラについてぜひ言及しなければならないのですが。仲間にしたら食事シーンはちゃんと見ること。あと、ロボ娘で声が岩男潤子というのはあんまりにもあまりな。
 そうと意識する前に大切な人を失ったときにはじめて「心」を知り、だから彼女が最初に理解したのは「悲しみ」である。

 「きみはいま、さびしいっておもったんだ」「さびしい? さびしいとはなんだ」「さびしいってのは……ひとりぼっちで、かなしいってことだよ」「かなしい? かなしいとはなんだ」「うーん……かなしいは、かなしいだよ」(勇者警察ジェイデッカー)

 「ジェイデッカー」でも「セレーネ・セイレーン」という小説(ホワイトハートだったと思う。今ちょっとみあたらない)でも、ロボットが「心」を持つのは「悲しみ」を知ることからだ。このあたりなんと言うか一種の制度性を感じなくもないのだが、まあそれはともかく、そうであるがゆえにティオは最後のへんで、
 「もう、さびしいのはいやです」
 とか言うんですよ! あの声で! 死ぬかと思った。すんませんこれが言いたかっただけです。年末あたりから。

 マルチについては、ひたすら「人間としか思えない仕草」とかそういったものに言及されるのみで、マルチの「内面」といった問いを巧妙に回避しているのがウマいと思うがどうか。重要なのは「心があるとしか思えない」という「見え方」であって「心があるかどうか」ではない、というのが明確に見てとれる。マルチの内面とか意識の有無については、わずかに充電中の「夢」から伺い知れるのみだ。
 エピステーメーとドクサです。

 「ロボットである」「プログラムに従った挙動である」というのはつまるところ「本質」にすぎません。実存は本質に先行します。人間だろうがロボットだろうがマルチはマルチです。この場合「人間である」「ロボットである」「プログラム」というのが「本質」であり、「マルチはマルチ」というのが「実存」です。このたとえはたぶん間違いではありません。というのは、あまりに大雑把すぎて正しいとか間違ってるとか言えるレベルではないので。竹田青嗣みたいなもんです。

 以下はメモがわりのリンク。あしたのために。

 あなただけは信じていたのにっ!

 森の十字路の「虚構化した現実を捨て、ギャルゲーをプレイしよう」「輝く季節へ

 はちさんのところからこれ。2chにリンク貼られてたので知ってはいたんですが。
 もうひとつ2chのここからこっちへ。
 林さんの。うちの親も大江光のCD買ってます。
 人間未満

◆2月22日(木)

 どうもうちに反応してくれてるらしいです。ご説明どうも。礼を言う筋合いじゃないかもしれませんが。こういう言い方は失礼かな。
 わりと予想した文脈と異なっていた。この件に関してはこっちの誤解というか圧倒的に足りない情報をもとに反応してしまったこちらの落ち度であったような気が。謝るのもなんですが、不覚、とは言いたい。
 恋愛については同意。「エロゲと恋愛論」とか読ませていただいてますし。小谷野敦とかみのうら氏が何度か書いていることに重なるように思う。ただ実際のオタクがどうであるかについてはサンプル数が百を越えてから考えます(やる気なし)。

 どういう風に受け取ってしまったのか書いておこう。誤解の内容。
 体験(身体)を盾にモノを言う、っつーか君も経験すればわかる的な物言いに聞こえて、それ卑怯、て気にちょっとなったわけで。林さんの日記の5/19とか、これの特別篇の「番外篇−論理的な文を書く」とか。理屈(言葉)でゴチャゴチャ言うのを否定されるとちょっとこう。
 「理屈(ことば)は所詮理屈」とほかならぬ言葉で言ってしまう無神経さは耐え難いものがある。

 僕の考えなしの記述に律義に反応されっぱなしってのも気が引けるというか癪なので、高橋氏のONE評論へリアクションを返す。予定。そのうち。と自分を追いつめておく。

「自分を望んでくれる女の子の思いが、奇跡を生んで、再びめぐり合う」
「自分を失って悲嘆にくれるヒロインを、ヒロイン視点から見ることが出来る」
「自分のおかげで、ヒロインが自らの弱点を克服する」

 このあたり、本当にあてはまるかどうか、そうした側面を強調するのがはたして妥当か、本編に即して検証する予定。あんまり面白くない作業なんですが。最近読んだのが小谷野敦「バカのための読書術」(ちくま新書)なので。論理を検証できるほど頭よくないから俺。論理学の教科書も読めない。

 いや「やりくちが気に食わない」とか「理屈屋のための萌えゲー」ってのはわかる話なんですけど。

 なんつーか、「自分で自分を認めることが出来ず、誰かに認めてもらいたくてたまらないオタクの欲求を、ストレートに突いてくる」って言われてもそれこそ間違ってないけど面白くないんですが。支持者の自己愛に帰する論法ってのは必ず出てくるのでいいかげん飽きてる。あとこれ読んだらかなりどうでもよくなった。そのへんは。

 今のところしのぶさん(「魔法の笛と銀のすず」)が「なぜ作品ではなく「受け手の心理」が語られるのか?」といった疑問を提出されてるくらしか、反応らしい反応は見当たらないんですが。

◆2月20日(火)

 どうも、少し怖い人です。あの日、あ〜んどで検索かけたのはわたしです。なんつうかホラ、嫉妬に耐え兼ねて。もし男だったら承知しないゾ! とかそんな勢いで。
 そんな、両親がいちゃついてるので拗ねて部屋に引きこもる子供のような真似を誰がしますか。ぱぱー、ままー、だっこー。(とらハ2)
 恋敵に立候補とかしようとは思ったんですけどね。やっぱホラ、独占したいわけじゃないし。俺はジェイクのものなんだけど、ジェイクはみんなのものなんだよ。(パーム)
 更新しなかった理由? ちょっと血球の数が足りなくて。(アラン「幸福論」)

 とか書いていると何やら浮気でもしてるようなうしろめたさが。
 いつか靴下置き忘れに行ってあげるから。

◆2月19日(月)

 昨日の日記を少し削ってリンクを貼ることにする。

◆2月18日(日)

 今回の更新はアレだ、OTDの掲示板サービスの関係の告知のついでというか。そんなわけで生焼け。いや生煮えか。
 久々の更新がトップページだけというのに耐えられずに書いてしまった。誰も幸せにしない文章。まあ他人の幸せなど知ったことではありませんが、特に言いたいってわけでもないことを書いてしまったのでして。休む気力がないので仕方なくバイトに行くというか、そんなノリ。

 以下、断片的に。

 「小僧、ソープへ行け」ってのを読んで、三島由紀夫の「太宰治の苦悩は乾布摩擦と器械体操の習慣によって容易に克服できる程度のものだった」(大意)というのを思い出しました。三島のは同族嫌悪なんですが。あと戸塚ヨットスクールとか。
 正しいか間違っているか以前にうんざりする意見ってのはあるよね。問題は「あなたは間違っている」と言うのは許されるのに「あなたの言っていることは面白くもなんともない(間違っていないけれど退屈)」と述べるのは許されないらしい、ということなんですが。
 
 「永遠の世界」「空にいる少女」については、クリエイターズコラムを信じるならば「何よりもそれらはイメージだ」ということらしいけど。BTとか「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に魅了されることによって生じた、再現の欲望。しかし企画当初は断片的なイメージばっかしってのはまんまエヴァにおける庵野ですな。すると涼元氏は鶴巻か薩川?
 創作とは世界を再現する欲望にほかならないが、その「世界」とは現実とは限らない。まあたいていは、現実の自分の中の考え方だの感じ方だのを再現するものってことになってるわけですが。

 「自分の体験を作品に反映するということはないですね。自分の中の虚構を反映させるというか」
 麻枝准の発言でこれはけっこう信用がおけると思うのだが。コンプティークのクリエイターズコラムでは自身が極めて意識的な製作者であることを述べている。ナマの叫びなんか誰も聞いてくれないのが当り前だと認識している。

 人々が麻枝准の作品の中に見出す「作家の心情・心性」がすでに創作物であることを僕は感覚として疑わない。本当にトラウマ持ちだったり永遠に片足突っ込んでたらあんなにノリノリで書けてるわけないじゃん。佐祐理さんシナリオなんか鼻歌混じりで書いてるんじゃないかとさえ思う。印象論だけどさ。

 以前僕は佐祐理さんが嫌いとかエリュシオンのジェーンがどうとか書いたけど、実をいえばああいう心情は僕の中にはあんまりない。推測による創作物。しのぶさんとかMK2の人とかの文書を読まなきゃあれは存在しなかったはずで。
 まあ、自分の中に何もなかろうととりあえず萌えとか言ってみることができるってのは、やっぱり萌えってのは人類史上最大の救済でありますか夏町さん。

 土屋賢二は「自分のことのように嬉しい」という日本語は間違いだといっている。なんとなれば、人間は自分のことよりは他人のこと(フィクション、スポーツ、格闘技、美談など)のほうにより熱狂もすれば感動もするのだから。むしろ「他人事のように嬉しい」と述べるべきである。(「われ笑う、ゆえにわれあり」文春文庫)

 久弥直樹についていえば、ある時期を境に嫌いになった。というか僕が麻枝派なのはむしろ反・久弥だったからで。まあ実際には愛憎並立なのだが、そういう本当のことを書くとややこしくなってしまうので嫌いということにしておく。という風に態度を創作というか設定しなければ文章というのは書き始められないわけですが。
 女の子になりたい男っているじゃないですか。しかも女の子の、男から見て(というのは僕は男なのでそういう言い方になるのだが)都合のいい部分しか見えてなくて。都合のいいってのは快/不快とか便利/不便ではなく、絵になる部分ってことですが。そういうのを見る不快さ。
 あと、他人であるはずのヒロインとの同一化が求められるのがどうも馴染めないとか。名雪とかはともかく茜とかみさき先輩はどうも僕はあかんのです最近。

 そんなことを考えてるとピュアガの更科氏インタビューのとある項目読んでヘコんだりするわけですが。うぐぅ。
 ああ、努力が報われる感覚は嫌いです。というかゲームって要するに「これも神のくだされた試練です。あらゆる苦難はあなたをより完全な幸福に導くためのものです。あなたがすることはすべて見守られていて、世界はそれに応えてくれます」って世界観じゃん。プレイヤーの苦労は報われなければならず(「より大きな快」という善のための意味のある苦労でなければならず)、アクションにはしかるべきリアクションが返ってこなければならず、選択の結果は反映されなければならない。世界には意味があり、連続的で、断絶も深淵もアイロニーも悲劇もない。

 そんなにあなたは世界にとって意味のある存在でありたいのか? または、あたかも理想的な教育者のように世界に接してほしいのか? つまり「子供に自発的にやる気を起こさせる教育」みたいな手に乗って満足かってことです。いい年して。

 そういう反感は今までもまあ書いてきたわけですが。「じゃあ何がいいのか」って書いてなかったので。更科氏のコラムにはやられたというか流石というか。

 ONE PIECEの「アミウダケのスープ」のエピソードが好きでね。説明すると、僕のいうアイロニーとか悲劇ってのはああいう、認識と意図と行為と結果がそれぞれ非連続になっちまった事態のことだ。克服されているのは凄い。

 連続性とか目的意識ってのは時に人を疲れさせる。そうは思わないか?
 青い鳥L'Oiseau Bleuにハマってます。どうもMOON.の「すのこ」ワールドを思い出してしまうのがアレですが。

 「この心情の変化は納得いかない」っていうのが僕はよくわからなくて。他人の(ついでに自分も)考えだの感じだのは、いくらでも納得のいかない・非連続的な・以前とは断絶した変化を起こしうるものなんじゃないかと。漱石の「こころ」でも「人間は突然変わる」って出て来るし。もちろん金目当てというわかりやすい理屈が存在するので別段不条理でもなんでもないわけですが、後からみれば納得がいくというだけの話で恋はいつも唐突です。というかまあ、後から見ればたいていのことは納得いきます。でも後からみれば納得のいくはずのことも、実際に経験する上では納得いかない何者かとして出現します。この事実は説明によって消え去るものではない。気がする。  僕は人間ってのはあんまり連続した統一体って前提できないので。いや、人の心なんていくらでも定式化の可能な一種の機械である気もするのですが。客観的には。あるいは知的構築に頼れば。しかし主観的に直接に認識可能な意識しうる限りでは、いいかえれば表面的には、唐突で納得いかない変化なんて当り前なんじゃないかと。  こういう言い方はまあ話をワカりやすくするための嘘なんですけど。厳密には、発言なり行為の背後に「心理」を想定するのがちょっとこう何か違うような。林さんの日記にそういうのがあったような。というかリンク集のコメント最近はそれなんですけど、どこからコピペしたんだっけ。


先月分

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