忸怩たるループ  2004年5月
もどる


 『月姫』秋葉ルートつづき。「なんだ、かわいいとこあるじゃないか」とかゆってる場合ですかこの朴念仁! 妹にドキドキしてんじゃねえこの変態。
 ところで、ここのとこ、秋葉のことを子供呼ばわりしてばかりいるようで、なんだかうしろめたい気がしていた。なんとかしたいがなんて書いていいのかわからん。そう思っていた矢先にこれである。マイ妹には謹んで敬意と感謝を捧げたい。

 そりゃあ有彦との仲は気になるだろう。有彦とはつまり、志貴が貧血起こしそうな気配をあらかじめ察して、倒れ込むまえに支えてくれるような友人なのである。本田透に対する夾くんのようだ。腐れ縁というのは好悪を超えてしまっていて、憎まれ口はもちろん絆の深さを逆証してしまうのだ。要するに家族みたいなもので、だから秋葉は落ち着かない、というのはよくわかる。むろん秋葉だって兄の知らぬそういう相手はいるに違いないのだが、こういう時にお互い様と思えるなら世話はない。



(Friday, 30-Apr-2004)

 タンバ君が、じゃなくて夾くんが足りない。そう思い至ってフルバ14巻に手を出す。透くんの場合、夾くんに見透かされるのはなにかと幸せでよろしい、と前と反対のことを書いてしまおう。なお、あまり新しい感想はない。ええ、そこまで言語化しちゅうの? とは思ったが。で例によってキョン吉は透くんに触る。佳乃りんみたいだ。夾くんはときどき透くんのお母さん(キャラクターではなくロールとして)みたいな人に見える。海行ったあたりからずっと。そういえば、男性の本質はマザーシップだ、と太宰治もいっていた。と吉本隆明が 書いている。きみ、その無精ヒゲを剃れよ。

 他人に優しいのは孤独がどんなものか骨身に沁みて知っているからで、誰かを赦しているように見えるとしたら、彼女はいつも、なにか切羽詰ったように相手を肯定するんだけど、それは得体の知れぬ不安に後押しされてるからでさ。そんなことさえ誰にも知らせぬままここまで来てしまうのは随分とキャラに残酷である(橘裕『Honey』と比べてみるがよい、千鶴先生が抱えてる事情を、なんとあっさりと久我くんに見せてしまうことか)。

 それにしても家族。たしかに近代家族は多くの点で抑圧と虐待の温床となっており、おそらく現時点では「家族によって傷つけられる」ことのマイナスの方が、「家族と共にあることによって癒される」ことのプラスを凌駕しているというのも悲しいかな事実であるそうだが。そしてどういうわけか、ひとが持つ「母親」のイメージは、現実のそれとはしばしば無関係である。ユングが正しいのかもしれない。

 ところで、遠野秋葉が子供に見える、とかそういう話はもちろん へん読んだせいで思いついた。こちらは、どちらかといえば琥珀さんの話なんだけど。



(Wednesday, 28-Apr-2004)

 『月姫』秋葉のつづき。
 転校の経験はないが、初めての場所がつらいものだということは知っている。つまり、歯医者とか、銀行とか、郵便局とか──まあ何でもいいんだけど。初めて一人でバスや電車に乗ったときのことを考えてみるがいい、しかもバスなんて見るのも生れて初めてでさ。つまり、自分以外の全員はどう振舞うべきかを知っていて、自分だけが知らない。そこの人たちにはごく自然に共有されている行動の規則があって、自分だけはそれに対して盲目である、といった。いっそ理不尽な屈辱を味わっているような気さえしてくる。

 遠野秋葉が立ち尽くして泣きそうになってる学食はそういう場所でね。ねえ、考えてるようでやっぱり考えてなくてさ、すみませんちょっととか誰かに訊けばいいのに訊けないのさ。阿呆みたいに突っ立ってるっきゃない。猫を被る? 冗談じゃない。好んで屈辱を味わいたいのでもなければ、そんな猫の被り方だけはありえないってんですよお兄ちゃん。どうしてそんな血も涙もない選択肢がありますか、いやどうせ志貴に言われるんなら平気なんだけどさ。兄と合流したとたん元気になんのがなんか泣けます。ここで遠野志貴の場合、猫を被ってるのかと疑いこそすれ、現金なやつだ、なんて間違っても思わないのがよろしいのですが。子供のことをそんなに見透かすもんじゃないし、見透かされては生きてはおれぬ、きっとそこまで思い詰める。あたりまえだが、同年代の友人と別れる、というのはよっぽどのことである。だから訊くな、という秋葉の態度はとでも正しいのである。つまり23日と同じ話してます。

 それと今日のは林お兄ちゃんのパクリです。《それにしても初めての場所に行くのは辛いね。銀行とか郵便局とか、あと見てると店員が寄って来る種類の服屋とかに行くと必ず感じるんだけど、そこの人たちにはごく自然に共有されている行動の規則が自分だけ見えてなくて、わけもなく愚弄されてるみたいな。他の患者はみんなもう慣れてるからリラックスしてるんだけど、僕一人だけはどこに座って何をすればいいのか分かんなくて異様に居心地悪くて。》(astazapote)それだ。



(Monday, 26-Apr-2004)

 『月姫』秋葉ルート中。お酒飲んでるあたり。どうにもこうにも、秋葉の子供ぶりばかりが感じられて切ない。というのはむしろ逆で、なんか切羽詰った感じを抱えているのが子供にみえるわけだ。子供は何にでも真剣だからね。志貴くんの朴念仁ぶりはまったく苛立たしく、森カオルの伊集院大介に対する苛立ち(ときどき、ロケットに括りつけて宇宙に放り出してやりたくなる、とかなんとか)が少しはわかる。そういうえばどっちもメガネだ。



(Friday, 23-Apr-2004)

 桑田乃梨子『1+1=0』。『おそろしくて言えない』の変奏(なんとオチまで)。あらたな発見は、たとえば人の性格と、霊が見える見えないといった能力は実は関係ない、ということである。いっそ小気味よいほどに。考えて見れば当り前だが、どうせ人はただ考えてみるだけなので、こういう作品はありがたい。たとえば霊が見えるほうがにーなで、見えない方が維太郎、という組み合わせも理論上可能だとか、そんな話。

 僕の頭の中では、水淵季里はどうも笠原弘子みたいに喋るのです。具体的には『ヤミ帽』のマウ。



(Tuesday, 13-Apr-2004)


もどる