忸怩たるループ  2004年8月
もどる


8月31日

 《……私たちは(自分が「何ものであるか」を忘れて)実に簡単に「テクストを支配している主人公の見方」に同一化してしまいます。それが「現実の私」の敵対者や抑圧者であってさえ。
 アメリカ映画『パール・ハーバー』を観ている私は、主人公と零戦との空中戦では、ひたすらアメリカ飛行士の勝利を念じ、零戦の撃墜を願っています。香港映画『ドラゴン怒りの鉄拳』では、悪逆非道な日本人武道家を蹴り殺すブルース・リーの活躍に熱い拍手を送ります。
 別にこれは私に限ったことではありません。ある映画史家は、象牙海岸の映画館で、ジョージ・ラフト演じる白人の船長が追っ手から逃れるために、船を軽くしようと、「積み荷」である黒人奴隷をぽんぽんと海に投げ込む場面で、黒人観客がやんやの喝采を送っていたという事例を報告しています。(エドガール・モラン『映画──あるいは想像上の人間』)
 人間というのは、そういうものです。
 日常的な経験からも分かるとおり、私たちは決して確固とした定見をもった人間としてテクストを読み進んでいるわけではありません。むしろ、いまの映画の例からわかるように、テクストのほうが私たちを「そのテクストを読むことができる主体」へと形成していくのです。
 ……
 テクストも読者もあらかじめ自立した項として、独立に自存するわけではありません。……》(内田樹『寝ながら学べる構造主義』124-125頁、参考http://www.tatsuru.com/diary/tohoho/th0008.html(8月24日))

 つまり、(いいかげん古い例えだが)碇シンジ君にシンクロしている君は、別にシンちゃんと共通点があったわけじゃない、というわけ。あるいは、シンちゃんに共感したからこそ君とシンちゃんの共通点なるものが見えてくる(或はあったような気がしてくる)わけで、共通点があるから共感できた、というのは原因と結果が逆。いや何の話かってえと21日のONEドラマCDの感想の補足なんですが。で、もちろん僕は、実際のところ、長森の内面について真剣に考えてしまったことなどなかったように思う。あったとしても、それが原因であのドラマCDがより面白く聴けたとか、そういうものでもなかろう。



8月25日

 清水マリコ『ゼロヨンイチロク』(MF文庫J)を読んだ知人から、天沢退二郎「グーンの黒い地図」を思い出したというタレコミ。読んでねえ。無念なり。



8月22日

 アニメのD.N.ANGELをようやく最終回まで観る。たまに原田妹のほうがお姉ちゃんみたいに振舞うのが萌え。というか原田妹の凛々しい横顔にうっかり惚れそうに。喪失(てか失恋)による成熟なんて物語はクソ喰らえですが。むしろ「いずれ消え去る年寄り」であるところのダークに惚れてしまうという役所が彼女を不可避的に一段上のポジションに押し上げてしまうので、祖母とダークの因縁を彼女だけが知ることにもなれば、エルダー原田と丹羽くんという「過去の因縁に縛られない」組と比して精神的に一世代上にもなる。そんなわけでやっぱり、同じく「過去の因縁」組の日渡くんと目配せしあうのは正しい劇作なのでして。って僕が言うのも野暮ですな。



8月21日

 『ONE』ドラマCD、長森瑞佳ストーリー。
 ゲーム本編に「たぶん浩平がわたしの頭の中知ったら、びっくりするよ。浩平のことばっかで」という台詞がありますが、まさにその通りの逸品。どういうものか知りたい向きは へんをどうぞ。

 それでまあびっくりしたのだけど、意外というのではなくて、かくも思い通りの代物がこの世に存在したことに。まあ個人的な話をすれば、まさにこんな風に長森の内面を想像したことがあるような気がします。錯覚かもしれませんが。

 ひところは行住坐臥『ONE』のことばかり考えていて、だから時には長森の立場に身を置いて考えるようなこともあったわけで。もっぱら、長森シナリオでの浩平の長森への仕打ちがどうの、あれが許せるかどうかとかいった世にもくだらない議論のために。あれ、ちょっと考えれば許すの許さないのって話じゃないことぐらいわかりそうなもんですけどね。ぶっちゃけ俺が長森だったらあの通りに行動するね選択の余地なんてないよ、という話をしようとして挫折したような記憶はある。やっぱ恥ずかしくってさ。

 もちろん実際に聞いてみなきゃわからないこともあって、キスしようとして避けられるのがどれほど恥ずかしいかとか、あと告白された時は心臓が止まるかと思った。なるほど、罰ゲームだの何だのっていう文脈が無いとこんな気がするわけか。

 どうでもいい上に昔の話なんだが、Keyのネタバレ掲示板で昔、浩平のことを、人間の国にまぎれこんだ妖精みたいで、いつもははしゃいでるし悪戯ばかりしてるんだけど、時々自分の国を思い出して泣く、みたいな、なんて言ってた人がいてさ。それを読んで僕は星野架名『プレーンブルーの国』の青を思い出した。長森から見た浩平ってのは妙子から見た青、みたいな気分はずっとあってね。それがカッチョイイ(そして悩める)王子様になってたので、いやまあ、長森の浩平に対する評価を聞いてりゃやっぱりそんな風に聞こえるだろうというまさにそんな声なんですが、それはもうドキドキでしたとさ。

 お菓子の国の話をする浩平の声は他人の声のように聞こえるし、それに考え考え答える瑞佳の声は、考え考え答えてる自分の声みたいな気がしてくる。どのみち人間は思ってもみなかったことを言ってしまうものだから、声を聞いたあとでそれこそが自分の考えていたことだと思い込むのは、難しいことではない。

 まあなんというか、長森の内面を真剣に想像してしまったことがある人は是非。

 で、明け方に皆口長森を聴いて、そのまま電車に乗り上洛。車中にて梨木香歩『裏庭』読了。『西の魔女が死んだ』が「アイ・ノウ」なら、こっちは「テル・ミィ」である。現代の日本からはじめるファンタジーなら、純和風などありえないがその逆もまたありえない。そんなわけで、日本にある洋館の裏庭での冒険には東西の御伽噺が影を落とす。英語で名を問われ、「照美」という返答がTell meと解釈されることから全ては始まる。

 わりとどうでもいい感想としては、言われるがままにあちこちの街を訪れて必要なミッションをこなしてゆくので、なんかRPGやってるみたいでした。RPGとファンタジーの共通点はもうひとつあって、そこには偶然など存在せず目に映るすべてのものはメッセージなのですが。一介の村人の世間話が考古学者の報告と同等の有意味性を持つのがRPGですね。世界にはどこまでも意味があり有機的な連関がある。手紙は必ず届く。良くも悪くも。

 あとこれが、死んでしまった弟を探す姉の話である、という点は(曽我さんが以前掲示板に書いてらしたけど)繰り返しておこう。個人的には、やはり死んでしまった姉を探す話であるところのアニメ版『ヤミと帽子と本の旅人』に似ていなくもないと思うし、そういう文脈で手を出した面はあります。

 京都。ベルギービール。深夜、ONEドラマCDの話がしたくて曽我さんに電話して、ついでにお部屋までお邪魔する。
 劇場版『AIR』のDVD付き前売券など。レーベル面の絵で観鈴が浴衣を着ていて、なんだか普通のエロゲーみたいだった。以前AIRについて、浴衣も水着も海も祭も登場しない夏、とかそんなことを書いたこともあって、幸せなような、どうにも釈然としないような、ちょっと複雑な気分である。
 先行映像紹介10分。長い。観鈴はちゃんと観鈴っぽい──往人さんがいない所ではあんな感じだと思う。なんての、ムダに頭が良さそうな。あと自転車に乗ってたのがちょっと驚いた。あの街では子供はみんな歩いているような気がしてたから。
 夏休みの課題であの学校の生徒は郷土の伝承を調べたりするらしく、それで翼人云々とつなげるとなると、なんか普通の児童文学っぽいファンタジーになるように思った。それはそれで構わないが。

 あと、ゲームのシスプリに初めて触った。四葉のメールは「よつば」と自分の名前を読むところまで聴かないとダメらしい。あと兄が、わりと凄い状況を飄々といなす感じがなんかいい。「今日はよく妹に会う日だなあ」。他は藤田貴美の『雪の女王』(というか山賊の娘)とかまあ色々。藤田バージョンだと「娘」だけど「むすめ」とひらくのが本式だよね 妖精族のむすめ、とか。



8月20日

 「すみの」のアクセントが想像と違う。というのは『SNOW』のCDドラマの話。澄乃のあの口調を川澄綾子が完全再現! ついでに下手な歌も。キャスティングはいい意味でやりすぎというかベタで、具体的には小桜エツ子に猫を演じさせるぐらい。芽依子は渡辺菜生子だし。あと、平松晶子(小夜里さん)のお母さんぶりが実によろしい。澄乃の叱り方とか。そして、奥からじゃがいもの詰まった箱をうんしょと運んでくる絵が鮮明に浮かぶ。



8月17日

 Key+Liaばかり聴いて過ごす。というか麻枝准。ええいこのネガティブ王子様め。「今も覚えて(い)る」と唄う前に、「いつか忘れて同じ思い守れずにいる」とか「もう思い出せない」とか言っておかなきゃ気が済まないらしい。ラブ。ここでは前者の「今」は「現在形で語られる過去」である。または、後者が「現在形で語られる未来」。

 強さとか変わらぬ思いとか決意とかいったものは「すでに失われたもの」であるか、「いずれ失われるもの」である。麻枝准の「僕」にとって、なんらかの強さや決意(そして永遠)というのは、というのは、あらかじめ失われた形で、または、いずれ失われるという予感と共に、呈示されるといえよう。たまに無理矢理前向きにしてるのもあるが。
 ええと、『鳥の詩』でいうと「悔しくて指を離す」─「手を離さないよずっと」─「悔しくて指を離す」の順なのね歌詞が。時制でいうと、現在─過去─現在。あるいは未来─現在─未来って見方もある。『夏影』『恋心』だと現在─過去(あるいは未来─現在)で止まる。ちなみに過去は「現在形で語られる過去」であって回想とは異なる。これがひとつめのパターン。
 一方で、過去はちゃんと過去形で語る(つまり「回想」になっている)、時制が現在に固定された詞もある。Farewel Song系というか。『Birthday SOng,Requiem』『Spica』あたりがそうなる。
 だいたいその二系統ある気がした。

 ただ、前者については、一つのセンテンスでも時制が入り乱れるのがふつうなので、詞の中のどこが現在であり過去であり未来であるのか考えるのはあまり意味がない。知人の言を借りれば、「現在から未来を思い、そこから過去を回想する」か「いまだ犯されていない罪を未来において償わされている」といった、まあどちらでもよろしいがとにかくそんなん。こうした状態について説明するとまんま三浦雅士『メランコリーの水脈』になっちゃうので説明はしません。

 そんなのを聴いてるとね、なんとなくだけどさ、今の自分が守れなかったものや失ってしまったものを持っていたもうひとりの自分が、どこか別の世界でよろしくやっているような、そんな気がするわけさ。もしかすると永遠に。現在形で。永遠の世界だか空の上だか知らないけどさ。幼い日の自分がまだ駆ける。誰にも思い出されぬ記憶にも還る場所があるように思うよ。僕が忘れても、いつかこの身が朽ちても、たぶんそんな感じ。

 楽曲と、個々の詞についてはまた後日。一部のremix除いてどれも好きです、とだけ。



8月16日

 「結局ガジェットやロジックなどというものは、理不尽なロマンスによって崩れ去るべきものだ。その崩壊の一瞬に物語は輝く。」という言い方で思い浮かべるのは中島らも『ガダラの豚』だったり。むろん『Esの方程式』でも可。



8月14日

 朝酒。昼カラ。夕刻、DALさんとflurryさんと夏葉薫さんにお会いする。プラス曽我さんという面子で会食。しかし、連日の宴会の疲労がピークだったのか、ほとんど記憶がない。キングアーサー。日本のビル建築。高所恐怖。ビール。ミルフィーユ・シェクティ(のあとがき)。ライトノベル読本。JDC。エルハのお兄ちゃんは声がかっこよくてマクレーンはコンバット刑事。玖渚のマション。包丁の使いかた。元長月姫のエロ。秋葉のおなか。都築イラストの広告は当時においていかに劃期的だったか。ラノベ絵師としてのあらいずみるいはメジャー所としては特殊。江森備。妙子派多し。暗黒太極拳の動画はレベル高い。そんな話が出たような出なかったような。ともあれ、色々とおたくっぽい話ができて楽しかったのでした。



8月13日

 家主に『愛してるぜベイベ★★』とかいうマンガをあてがわれたので、そればかり読んで過す。因みにアニメの方は未見。

「……きみ、男性の本質は何んだかわかるかね。」
「わかりません。」
「マザーシップだよ。優しさだよ。きみ、その無精ヒゲを剃れよ。」


 まあ、そんな話。結平くんが良い。あ、結平くんというのは高校生の男の子で、ひょんなことから従妹のゆずゆちゃん(5歳)のお母さん役をする破目になるわけです。つまり、お弁当つくったり幼稚園の送り迎えしたり、あと絵を描いたらほめてやるとか。

 あのね、5歳のガキはといえば、例えば、自分がどうして泣いてるのかなんて言語化できないわけですよ。それ以前に、事実関係だって言葉では説明できない。結平くんは女たらしのバカなんだけどそのへんの対応は聰明でとてもよろしい。理解するとは別の仕方で。あと結平くんにはもちろん恋人がいて、彼女はといえば見た目かっこいいんだけどえらく口下手で、たぶん結平くんは人の話あまり聞かなずに勝手に喋るからうまくいく。いいもの読ませてもらいました。りぼんなのでマンガとしては割とアレなんですが。

 きっとこれが、最後の夏。

 曽我さんにAIR劇場版のTVスポットを見せてもらう。
 予想通り、海はギラギラ光ってるの見せまくり。ゲームの方は表現上の制約もあってほとんど禁欲的なんだけど(イベントCGで海の占める割合を考えて見たまえ)、アニメは映像の快楽に忠実である。

 川上とも子の観鈴は初めて聴いたけど、ちゃんと観鈴の声に聞こえました。びっくり。

 中将くんとも久しぶりに会った。



8月12日

 上洛。車中にて『ウィーンの辻音楽師』。いいとこの坊ちゃんなんだけど落ちぶれちゃった爺さんの話、でも腐ってもヨーロッパなので矜持だけは保たれる。これがロシア(というかドストエフスキーなら)、生活苦とはいま少し強大な敵だろう。敵対することさえ困難であるような。ええと、『カラマーゾフ』の、なんか死んじゃった子のお父さん。
 あと、これがウィーンっ子に人気だったってのは、没落期のスペイン人が『ドン・キホーテ』を好むようなものじゃないかとか思った。

 京都。『マシュマロ通信』を一話から観せてもらう。キャラクター描写は初期のほうが良いらしい。とりあえず、サンディがいいやつ。正しいお姉ちゃんです。スキあらば弟をコキ使おうとする(「言うこときかないとひどい目にあわすわよ」)、でも弟が無理すると叱る(「できないならできないって言いなさいよ」)、とかそんな感じ。そして夜には恐い話をむりやり聞かせるぞ。もちろん部屋の電気は消してこっそりと、なので早く寝なさいとか叱られる。いつの日本だそれ。



8月11日

さて僕夏のせいでラブラブ方面にフラグが立ったのでなんとなく『涼宮ハルヒの消失』を買う。

 長門さんが。あんたそこまで。
 具体的に言うと、そろそろ彼女の耳元で「ばかおんなー」とか叫んでやる遠野志貴が必要な気がしてくるくらい。
 いや、キョン君はちゃんと、彼女に言いたい事(俺/読者が)を言ってくれるんだけど、その長門さんに言っても通じない。せつねえでござるよ。

 巡回。今回長門さんは相当にトチ狂った挙に出たわけですが、そのへんとくに引っかかりもなく可愛いとか萌えとか言ってる人ばかり目についてなにやら殺意に似たものが湧いてくる今日このごろ。思うにそこは泣くか怒るか絶句する所なので、今回の長門を肯定するのに脳内で2つ以上のステップを踏まずに済む人は多分長門好きじゃないと思う 、ってのにリンクでもしなきゃやってらんない。

          □

 さて今回は、長門さんが盛大に尻尾を出す話である。尻尾を出すにはまず生やす必要がある。『退屈』と併せて読めば、どうやって尻尾を生やしたのかだいたい明らかに──少なくとも推測可能に──なるはずだ。ここでいう尻尾とは内面=過去の謂で、というか「いくら待っても真琴の耳や尻尾は出てきませんでした.人間どうしたって一つや二つ隠し事があるものですが,隠すべき内面すら持ち合わせない真琴は,無邪気というかどこまでも不可解で,熱を出して弱った真琴がせめて耳だけでも出してくれたらさ,」から借りた。

 『憂鬱』の頃の長門はよくわからないキャラでさ。ちょいとしょっぱなからキョンに好意持ち過ぎでねえの? というのが率直なところ。なんでいきなりお茶の味聞くかな。「わたしという個体も」云々言い出すのも早過ぎる。そういうのは普通、コンビ組んで殺人事件のひとつも解決した後(『鋼鉄都市』)ね)じゃないのさ。で当時は、どうもこの作者わかってねえなあ、と思ってた。もちろんこれは早計だったわけで。なんですかイフリータ(むろんOVA第一期の)ですかあなた。初めて会った時は一万年がとこ待たせてしまっていたという。
 時間旅行は必然として情報格差をもたらすわけですが、多くの場合、あおりを食らって一人で色々と抱え込んでしまう奴が出る。そいつは当然、文脈の掴めないことをやらかす。初対面の相手をいきなり異世界に送り込むとかさ。そこから謎解きが始まる。ギャルゲーを持ち出すまでもなく、謎解きとはヒロインの内面=過去への接近である。より厳密には、解き明かされることによって「そこにあった」ことになるのが謎であり内面でもあるわけで、近刊二冊は彼女が事後的かつ遡行的に内面を獲得していくプロセスでもある。時間旅行とは長門有希という設定的には無味乾燥に近いヒロインに謎を発生させ内面を付与する装置に他ならぬ。ただこういう論立てをしちまうと、長門さんの内面について問題になる限りの全てが、あの三年と半年の、つまりキョンに関係する部分に尽きてしまうという後味の悪さがある。
 総括。尻尾出してくれたのはまあ嬉しいというか安心する所なんだけど、そういうやり方ははねえだろ、という複雑な気分。あと日本語の都合で尻尾しっぽと繰り返したが、どちらかといえば耳を生やしたい外見だと思った。

          □

 「選択はもうしたわ。あなたがここへ来たのは、選択した理由を知るためよ」(『マトリックス・リローデッド』)みたいな話をするはずだったけど、それは別にいいか。

 メモ。
 時間旅行と人格同一性のゆらぎ云々、というのは三浦雅士「サイエンス・フィクション、または隠れたる神」(『私という現象』講談社学術文庫)にあったような。



8月9日

 『僕と、僕らの夏』(Special Merge版)貴理ED。あーもーこの子わー。世話を焼かす!
 いや、日記には書いてないけどちょっとづつ進めてたんですよ。

 なんといいますか、いきなりイイのをもらっちまった感じ。気持ちよくKOされて地べたにねっころがっていたい気分なので、今の僕にできることといったら人様の感想にリンクを張ることぐらいです。貴理EDしか見てないのでその範囲で。
 ひらしょーさんの
 曽我 さん


 選択肢が面白い。あからさまにわかりやすいでもなく理不尽でもなく、うまく心情と文脈に寄り添っていけるつくり。なんつってな。あんまり取ってつけたような感じがしないのな。あと、DVD版だと選択肢でセーブできてしまう。特にロードしてやり直しとかしなかったけど。

 何だかキスとパンツばかり記憶に残っている気がする。決してそれだけではないはずなのだが。

          □

 寝て起きて貴理たちのことを考えていると、頻りと「記憶に守られている」というフレーズが頭に浮かんだ。ひとつには舞台設定のせいもある。ダムに沈んでしまった村が記憶の中の存在なら、この夏を最後にダムに沈む村というのは半ば記憶の領域にある。現在をあたかも過去のごとく見做す擬制を採用しないなら、風景を内面化し自己の内部へと閉じ込める郷愁であるよりは、自分が非人称の記憶の中にいるような気がするはずだ。ああ言葉にするとややこしいね。ノスタルジイよりもタイムスリップのほうがまだしも自然。

 個人的に幼なじみといえば『WHITE ALBUM』の河島はるかなので引き合いに出すが、そこでは子供時代の記憶とはそこから変化してしまった今を告げ知らせるものでり、そして変化とは断絶と訣別(もう戻れない過去との)を意味した。過去の文脈とどうにもつながらないから、アクシデンタルなかたちを装うぐらいしか思いつかないのな。で過去から切り離されてしまって僕はどうしていいかわからない、というのがラストシーン。
 しかし今回の貴理についていえば、変化は断絶を意味しない。随分と連中は色々なことを思い出すし、子供時代の記憶とは現代とつながっていることを、より正確には現在への文脈を構築(確認ではない)するためのものだ。シャワー浴びないパターンのほうが好きです。ああ、どっちもえっちシーンの話なんだ。

 サブキャラ、あるいは今回はサブキャラになっている人々についていえば、かれらの記憶の存在はとくに語られずとも伝わってくる。もちろんキャラクターたるもの過去の生活史を背負って見えなきゃ話にならないわけだが、それぞれの過去を語らぬままに背負って、というより折り目正しく身にまとっている感じが好ましい。



8月7日

 『D.D.-黒の封印-』を気がつけば三周。一度ハマったら抜け出せないノリ。「そうですか。」と「そうですね。」が口癖のやる気なさげな主人公が良い。桑田乃梨子風味? あれだ、「そういうことだから」とか、「わかりました あきらめましょう」的な。
 あらすじ:記憶喪失で気弱なツッコミキャラが辛辣なツッコミにレベルアップしつつ、人の話を聞かないパーティーメンバー大増殖。で世界を救ったり魂の安息を得たりします。あとオーソドックスなシステムに一風変わったセンスで遊び易く飽きさせない。グッド。



8月4日

 それでまあ、古橋デモベの余勢を駆ってデモンベインの前半を読み返したり。カードキャプターさくら、なんて話もあるが、こいつは見ようによっては押しかけ妹と探し物をする話なわけで、なんだか『嘘つきは妹にしておく』みたいである。だから好きなんだけどさ。ああ、露店の兄ちゃんには兄妹扱いされてます。



8月2日

『斬魔大聖デモンベイン 機神胎動』読了。そこで〈アルハザードのランプ〉とか言い出すセンスは相変わらず失禁モノなのだが(フレイザーエフェクトやスレイマンの「栄光の手」を思い出そう)、読後感としては食い足りない。機神兵団でディファレンス・エンジン、みたいなネタも生かしきれているとは言い難い。中盤に『妖神グルメ』のダゴン対原子力空母みたいな派手なのがひとつあって、あと「神話」ゆかりの地をもう一つぐらいは訪れたり「神話」関係の講釈がどこにあったりすれば雰囲気出るんじゃないかとか思いましたとさ。
 まあ悪くはないんだけど。感動して泣く程度には。僕は「彼」(デモンベイン)のことはとても愛しているので、そういう人は読むべきだと思う。あと、戦いの主役が人間と邪神ではなく、時空を超えて戦い続ける赤と銀の機体そのもの、ってのはどうにも『大魔獣激闘 鋼の鬼』くさい。そういうの大好きですけど。


 それはそうと、デモベ私註番外。

・アズラッド
 『アル・アジフ』の著者Abdul Alhazredの日本語表記はアブドル・アルハザード(アルハズレッド)が一般的だが、よりアラブ風にはアブドゥル(アブド・アル)・アズラッドになるそうだ。

・アルハザードのランプ
 ネーミングはラヴクラフト&ダーレスによる短篇『アルハザードのランプ』から。同短篇では、異界の光景を浮かび上がらせる炎を灯すランプが登場する。もちろん本篇中では本来とは別の意味で用いられているが、これは古橋秀之の得意技のひとつで。『ブライトライツ・ホーリーランド』の「栄光の手」、『サムライ・レンズマン』の「武者走り」等に先行例が見られる。

・D∴D∴(ダークネス・ドーン)
 「黄金の夜明け」団(ゴールデン・ドーン)をもじったものだろう。

・チャールズ・バベッジ、解析機関
 ともに実在。http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/history/babbage.html。

・オーガスタ・エイダ・ダーレス
 オーガスタ・エイダ・ラヴレイス(旧姓バイロン、「世界最初のプログラマ」)とオーガスト・ダーレス(ラヴクラフトの弟子、『永劫の探求』など)から。

・エズファレス/オリュアラム/イリオン=エシュティオン/エリュオナ──
 学研『魔道書ネクロノミコン』より「球体の招喚」。

・手の甲を前に向ける構え
 調査中。『コンデ・コマ』と、あと『RED』にそういう構えがあったかもしれない(オーウェン)。とってだったかもしれない。ちなみに『秘拳伝キラ』によれば、ベアナックル時代のボクサーの構えは、両拳を現在のそれよりかなり低く、腰だめに構える感じ。ちゃんとした資料が見つからないので何とも。

・お恥ずかしい、ほんのステゴロ(ベアナックル)でございます
 1889年を最後に素手(ベアナックル)でのボクシングは姿を消す。作中は1890年代なので、自分のは前時代的な(野蛮な)ボクシングである、という謙遜。


・ピレネー山中の洞窟に隠された巨大石像群
 F.B.ロング『恐怖の山』(『夜歩く石像』)か。
・カイロ郊外の砂中にある無貌の神像
 ロバート・ブロック『無貌の神』。
・ペルシアの砂漠地帯に打ち捨てられた廃都
 ラヴクラフト『無名都市』(『廃都』)。
・西オーストラリアの巨石建築
 ラヴクラフト『時間からの影』。
・南太平洋下の海底遺蹟
 ルルイエ。
・南極大陸奥地の巨大石造建築群
 ラヴクラフト『狂気の山脈にて』。

・召喚
 そういえば「招喚」は何とかいう翻訳者による造語だった気がした。古橋デモベでは「召喚」、ゲームでは「招喚」。




もどる