秋山瑞人についてのノート  今木ツヨシ  あるいは秋山瑞人について述べるなら、そのSF設定や人物造型の妙について、また小説のメリットを最大限に生かした文章技法について述べるべきかもしれない。だが、そんなことは誰でも読めばわかるし、でなくともわざわざ他人の(つまり僕の)言葉が必要な部分とも思われない。  もしかして秋山瑞人は難解だ。そしてその難解さは、作品の示すものが人間の思考の自然な傾向に逆らうからであって、教養なり読解力なりの問題ではない。  語られるべきことが語られずはぐらかされてしまうような、そうした感覚。「筋が通らない」とか「話(会話/ストーリー)が違う」といえばいいだろうか。読み手の気持ちや思考の流れが予測をはずされ、そこで一瞬せき止められる。そして話の方はなにか勝手に流れてゆき、読み手の気持ちの方は対応物を与えられないまま宙吊りにされるような。  《よいか、いつの時代でもそうだが、世の中には二種類の猫しかおらん。  不可能なことには興味のないやつと、不可能なことにしか興味のないやつじゃ。》(『猫の地球儀 焔の章』)  ストーリー開始直後、この時点で人が予測するのは、不可能に近い困難な夢に挑むスカイウォーカーの話、といったものだろう。  だが、やがて明らかになるのは、たとえば、スカイウォーカーは世の中が住みよくなるとあまり現れなくなる、ということだったりする。  クリスマスに言わせれば幽が地球儀に行きたがっていたのは「どこにも居場所がなかった」からだ。幽自身に即していえば、持って生まれた才能と育ちにかかわりがある。彼が地球を死者の魂の赴く彼岸だと信じないのは、「円を殺した連中の言うこと」だからであり、合理的科学的認識や宇宙への夢やロマンとそれは等権利である。  そして焔もまた、「不可能なことにしか興味のない猫」であると語られるのだが、そのときには次のようないいかたになる。  《何のことはない。おれは、口ではもう一回やれと迫りながら、そんなつまらない誘いには絶対に乗らない幽と戦いたがっていたのだ。(略)  確かにそうだ。俺は昔からできもしないことばかり考えていた。  誰よりも強くなりたい、とか。自分よりも強い奴と戦って勝ちたい、とか。》(『猫の地球儀 その2 幽の章』)  ここでは「不可能なほど困難なこと」ではなく「原理的な不可能性」になっている。背理としてしか表白されないようなことを、それでも望んでしまうこと。そんな思いをかかえ、もてあまし、どうしていいかわからなかった、そうした悲哀によって、この作品における「不可能なこと」についての言明は結ばれる。 *  個人的な話をすれば、こうした奇妙な感覚を初めて覚えたのは、『鉄コミュニケイション@ ハルカとイーヴァ』(電撃G's文庫、現在絶版)のあとがきにおいてである。  それは「軍用犬の話をします。我々の戦いに身を投じた犬たちの話です」とはじまり、犬がいかにして人間の側に住み着き、共に生きるようになり、その性質を(狼から)変化させてきたかを語り、やがて軍用犬の話にたどりつく。歴史が文字として記されるのと同じくらい古くから、犬は人間たちの戦争に駆り出されていた。そして、この話題の最後に、作家は次のように語る。  《……これから先も、我々が戦いを止めない限り、戦場にはリーダーに付き従う犬の姿があるでしょう。勲章に輝く英雄達の陰に、敵弾に倒れた無数の犬たちの亡骸が累々と転がるでしょう。  犬は、自ら人間と生きることを選んだ唯一の動物である。  一面の真実をとらえた言葉であると思います。  「人間の言葉」であると思います。  一度、犬に聞いてみたい気がします。本当にこれで満足なのか、と。  こんな連中にはもう付き合いきれない──そう考えることはないのか、と。  ──難しいことはよくわかんないけど、  多分、彼らはこう答えるような気がします。  ──でも、言われたことがうまくできるとうれしい。リーダーが誉めてくれるから。》  そして話題は「言葉をしゃべる犬」といった、異質な存在とのコミュニケーションへの興味へと移ってゆく。犬たちの悲惨な歴史をさんざん述べ立てておきながら、どんな当為(〜すべし)も希望(〜あれかし)もそこにはない。  人間はものを考えるときどうしても目的論的になる。そして状況の分析と認識がおわると、ほとんど習性のように、当為(〜すべし)とか希望(〜あれかし)を最後に付け加えてしまう。ある特定の「立場」を人は欲するし、そこから物を見るための「視点」がなければならない。もちろんそんなことは自覚もし、限界も心得ていようけれど。限られたものであることは重々承知だ(自覚さえあればいいらしい)、しかしとりあえずは限られた場所で前向きに生きていこう、とかなんとか言いつつ。そうしなければ現実には一歩も前に進めないかもしれないが、しかしそれがゆえに作品の読解に支障をきたす、ということはありうる。  目的論的な(=前向きな、とりあえずにしろ答を求める)思考。これこそ、秋山瑞人を読むのを妨げるものだ。少なくとも「鉄コミュニケイション」や「猫の地球儀」を読むかぎり、秋山瑞人はどんな当為も希望も語らない。ただ人々が(あるいは犬や猫やロボットが)望むと望まざるとにかかわらず不可避的に強いられているありようを照射するだけだ。そこで止まる。「どうすべきか」とはいわない。問題は、「何が不可避なのか」ということだ。秋山瑞人はどんな主張も合言葉も呼びかけはしない。ゆえに、特定の立場に感情移入することによって理解しうる作家ではない。かれは人間や犬や猫やロボットがどのように「ある」のかを描写するだけだし、そこにどんな「あるべき」もなきゃ「あれかし」もない。たとえそれが「悲しいこと」だとしても、それを解決することも取り除くこともできないし、また特定の(人為的な)起源をもつとしても、いったんそうなってしまったからには引き返せないので、今更「そうあるべきではなかった」ともいいはしないのだ。  《望むと望まざるとにかかわらず、この先もずっと、自分はその思い出を胸に抱いて生きていくだろう。》(『鉄コミュニケイションA チェスゲーム』)  「記憶」は単に存在し、単におのれを規定し、これからもそのようであり続けるだろう。それだけのことだ。「意志」や「誇り」(ナイトのように)によってそれを断ち切ることはできない。  《ROOK-RESS(006):──ぼくらは、あの戦争を生き延びちゃいけなかったんだ。:EOS  弾き返されてきたナイトの言葉には、一瞬のためらいがあった。  KNIGHT-RESS(007):言ってろ。この星が真っ二つに割れても、おれだけが生き残ればおれは満足だよ。:EOS  ROOK-RESS(007):ビショップもナイトも、ぼくも、みんなそうだ。荒野をうろつく機械歩兵と一緒だ。発狂したキングと同じだ。それ以上だ。寄るもの触るもの皆殺しにするくせに、ぼくらは、ぼくらだけじゃいられないんだ:EOS  KNIGHT-RESS(008):──おれは違う。  ROOK-RESS(007):──強がりはやめろ。ロボットどもなんかめじゃない。ぼくらは何万年も昔から人間と一緒に歩いてきた。人間の手から食べ物をもらって、人間からもらった毛布の上で眠って、名前を呼ばれれば尻尾を振って、どこまでも一緒に歩いて。とうとうこんな所まで来たんだ。それはぼくらが選んだ道だ。いまさら違うなんて言わせないぞ。人間が投げた棒をくわえて戻ってくるのは命令されたからじゃない。ぼくらがそうしたかったからだ。:EOS.  KNIGHT-RESS(009):──飼い犬は哀れだって話か?  ROOK-RESS(008):──ナイトの言ってた、血の記憶の話だ。》(『鉄コミュニケイションA チェスゲーム』)  ナイトが語るのは意志や誇りに属することがらであり、当為や希望である。ルークは、何が不可避なのかという認識を語る。だが、作品としては受け容れるも否定し滅びるも等価で、むしろ滅びゆくナイトのほうに思い入れが感じられるくらいだ。 *  《クリスマスに今すぐコマンドをぶち込んで叩き起こし、楽を散々な目に合わせて震電と一緒に叩き出せばいい。  簡単なことであり、そうすべきだと思った。しかし、幽は別のことをした。》(『猫の地球儀 その2 幽の章』)  このとき幽は、自分の内側に、思い通りにならない、意志によるコントロールを受け付けない他者性を見ることになる。  外側に目をむければ、「ある種の話題はつきつめれば血を見る」とわかっていても、焔とクソ坊主の会話はまるでそれ自体が生き物のように制御をこえて突っ走っていく。止めるべきだし、止められるはずだ。しかし読んでいる限りは、そのように進むほかないというリアリティも同時にある、その程度の技量はある作家だ。  ふたたび内側に目を向ければ、血の記憶だとか無意識の願望(ぼくは、友達がほしかったんだ)だとかいったものがある。  そして、ナイトのように誇りと意志を強行しようが、幽のように認めてしまおうが、どちらかがより幸せであれたり賢明であれたりするわけではない。ひとがどのようであれるか、ということは、そのひとにとってはむしろ意識や心理的可知性を超えた、なにか他者的なことに属する。  『鉄コミュニケイション』の結末には「かつてあった事実」が単に置かれているのみだ。『猫の地球儀』は最後にどうしても「そこにある地球儀」という一行を置くよりない。もとより単にそこにあるものを書いているにすぎないから。  《われわれは、ここに真理あり、ここでひざまずけ、といったふうに、なにか新しい原理をひっさげて空論的に世界に立ち向かうことはしない。われわれは、世界の諸原理のうちから世界のために新しい諸原理を発展させるのである。われわれは世界に向かって言いはしない。──君たちのたたかいをやめよ、それはつまらないことだ、われわれが君たちに真の闘争の合言葉をよびかけてやるつもりだ、と。われわれはただ世界に対して、いったいなぜそれは闘争するかを示すだけである。そして意識とは、世界がたとえそれを獲得しようと思わない場合でも、いやおうなしに獲得せざるをえない一つの事物なのである。》(マルクス「ルーゲへの手紙」) (了) 2000.7.31 脱稿 2003.9.15 引用記号ほか若干の修正