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4月22日(日)

 DEEPSEEKERはこっちにリンクすべきかと。もしかしたら僕のせい?

 鳥山仁の著作については、小説デビューはたぶん「小悪魔たちの囁き」('95)。「アルトルーリアの巫女姫」「逢魔の刻印」の計三作がいずれもフランス書院ナポレオン文庫より発行。イラストは詈駢寺兵人(B-MARY、BLUE MARYと同一人物?)。ナポ文庫はなくなっちゃったので現在絶版。ちなみに二つ目はあまり面白くない。エロいけど。
 「小悪魔〜」のあとがきには「ジャンルのごった煮」を強く意識して云々、とある。もともとナポレオン文庫が「ファンタジーとポルノ」「SFとポルノ」というごった煮の傾向を持つので、これを推し進めれば面白いことになるに違いない、とか。なくなっちゃいましたけど。
 エロゲー「Renaissance」のシナリオを担当。げいむ乱舞界の「超良作紹介」内にインタビュー有。


4月21日(土)

 「二重影」影響下読書キャンペーンの一環として、「ツァラトゥストラ」(手塚富雄訳)。なんかこの人の訳がいいって聞いたので。ちなみに中公バックス(ブックオフで100円だった)。
 付録は三島由紀夫と訳者の対談。しかし「如是説法ツァラトゥストラ」はまだしも「光炎菩薩大獅子吼経」って訳は何なんだ。

 おまえ、雲の背後の狩人よ! なんて詩句があるかどうかは知らない。元ネタ探しではなく、単に似たものが欲しいってだけで。


4月19日(木)

 「魔陀羅天使篇」1・2。普通に面白い。あと、このころは文章が下手じゃない。
 グレイシーとかヴァーリ・トゥードとかはこのころはマイナーだったのか、それとも並行世界だからか。「コータローまかり通る」の(旧)にはすでにグレーシー柔術と極端流空手の対決が見られるので、そこまでマイナーだったとも考えにくいのだが。


4月18日(水)

 「多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還」「北神伝綺」。イマイチ。


4月17日(火)

 「二重影」、桔梗ED。別に付け加えることはなし。

 「木島日記」。大塚英志の、審美性を徹底して欠いた文章はときどき読みたくなる。

 「構造と力」はあれら現代思想を、身もふたもなく図式化し、消費し尽くし、終わらせるために書かれたはずであったのだが、それがかえってブームを呼んでしまったのだという話を思い出した。
 大塚英志は浅田彰をライヴァルに設定している、という話をどこかで読んだが。


4月16日(月)

 ガンガンWING。まほらば。縄の正体はそうだったのか。今回も途中で4コマになったりはしませんが何か変なの入る。うまい。
 ガオ。ぴたテン。コタローくんのあんな格好に浮かれる間もなく美紗さんが……。


4月15日(日)

 少年剣士・あいすくん。「移香斎」で検索したらこんなものが。愛洲陰流のイメージが。


4月14日(土)

 菊池秀行「しびとの剣」1。イマイチ。
 「妖伝!からくり師蘭剣」。あ、移香斎が巌流に負けてる。やはり菊池ワールドでは顔がいいほうが勝つのか? まあ、佐佐木小次郎最強説はあるらしいのだが。あ、ふたなりが出てきた。暗合?
 ついでに夢枕獏「大帝の剣」1〜3。本朝伝奇/剣豪/女、ってあたりまでは標準装備。問題はそこから先で、たとえば「大帝の剣」だと「宇宙人」とか「アレクサンダー大王」が足し算される。菊池秀行なら謎の超古代文明なり西洋趣味なりが出る。菊池秀行には純和風はありえない。
 足し算というよりは、伝統的な剣豪モノ(藤沢周平や津本陽や早乙女貢や山田風太郎「魔界転生」あたりまで)からの逸脱として。バケモノ忍者とか伴天連の妖術くらいまではオーソドックスのうちである。日中印蘭くらいまではなんというか一つのモードの内部におさまる。超古代の発達した科学技術とかはおさまらないわけで。

 で「二重影」になると、現在の神話学人類学あるいは西洋哲学的なニュアンスで、「神」「神話」「原罪」「悲劇」「罰」「祈り」といったタームが使用されたりするわけだ。しかしそれも、渋い剣豪オヤジとウサギの格好したねーちゃんが同時に闊歩するような世界にはむしろ必然的な帰結というものかもしれない。つうか、イル萌え。おまえ、雲の背後の狩人よ!

 九字兼定や妙法村正は登場するものの、仏教(密教)はほとんど影も形もない。日本神話の神とキリスト教的な神を同一のニュアンスで語る必要があるので、仏とか神仏とかいう言葉に出て来てもらっては困るのである。まあ、仏教持ち出すと間違いなく収拾つかなくなるけど。孔雀王じゃないんだから。ちなみに車田正美も、ギリシャ神話の神とキリスト教的な神をこっそり混ぜるのが好きだと思う。やたらと教会や十字架が出てくるし。寺は出てこない。ノアの洪水だし。車田が原案を担当した先行の映画では「デュカリオンの洪水」の名辞が用いられているので、ギリシャ神話の世界観に治めることは充分に可能であったはずなのだが。

 で、ゴッドだかデウスだかが「神」と訳されなければこうした作品はありえないので、先人に感謝、ということで。いや別に「大日」でもそれはそれで面白かったかもしれないが。


4月13日(金)

 8時間バイト9時間二重影。命ED。うさぎさんである。ときどき眼が赤くなるのが芸が細かいといえよう。いや、いいたいことはわかってる。あの格好はちょっと、と言うのだろう? しかしいい奴だ。彼女の名誉のために言っておくと、本人もあの格好は恥ずかしいらしい。だが海よりも深い事情があるのです。
 「なんなんだよお前」「わたしはいいの、今はあなたのことが重要なの」「バカかお前」「わ、私だって自分があまり頭よくないことくらいわかってるわよ、でも」。いいリアクションだ。バカと言われればむきになって否定するしか能のないキャラ作りとは一線を画す。

 それこそ「ファントム」や「ヴェドゴニア」にひけをとらない、容赦ない娯楽だった。菊池秀行の過剰さ、横溝正史の意匠、小栗虫太郎の眩暈力、笠井潔の謎解き(「サマー・アポカリプス」とか)、平井和正的な悩めるヒーロー、夢枕獏の思弁性。とか書くと中島梓の「バイバイ・エンジェル」帯みたいですけど。
 夢枕獏が「上弦の月を食べる獅子」と「大帝の剣」を混ぜたようなものを書いたらもしかしたらこういう味になるかもしれない。


 全体的なテイストについては、Why does my soul feel so bad?の感想文を。

 そして、また引用してしまうのだけれども、「すべては博物学的興味の中にあって、哲学だろうが本朝オカルトであろうが全ては収集欲と陳列し来訪者を楽しませるためのものでしかない健康さ。

 実際、これほどのもてなし(饗応といっていい)を受けようとはおもわなんだ。これの作り手たちは、けちくさい日本料理人とはちがって、一流シェフのように客を満腹させるのだ。食中毒を起こすほどにね。前にも書いたか。

 ニトロプラスと異なる点は、一種類のモードに収まり切らずに(「ファントム」なら娯楽映画であり、「ヴェドゴニア」なら石ノ森的なモードをそんなに踏み外さない)、決定的なところで少し踏み外すところだ。うさぎさんとかな。

 ところで、イクサー1に僕が感じたのはむしろ引き算で、ようするに「自分にとって気持ちの良いもの以外、なにひとつ描かない」というマニフェストだった。あるいは、自らの資質と出自に対する誠実さかもしれない。全部本音で、義理では何一つ描かない。これはあまりいいことではないのかもしれないが、僕は断固支持なのである。「〜〜を描くなら、こういう面も描かなきゃいけないよな」などという言辞は虫が好かぬ。明日には違うことを言ってるだろうけど。
 ところで、虫は大事にしたほうがいい。とりあえず、違ったやりかたで思考することを可能にしてくれるし。小林秀雄は(略)


4月12日(木)

 争奪戦? ええいくそ、まひるはあたしんだ。と香澄かみなちゃんなら言うだろう。死んだオヤジやラーメンマンなら。

 ねがぽじから逃避して「二重影」(ケロQ)。他にも何本か立ち上げたのだが、自然に男と女が恋愛してるようなフィクションを眼にするとなんかこーいたたまれないものが。つうかどういつもこいつも皆殺しだ畜生。
 あと、どうやっても自分語り的になってしまう、あの一人称の文というやつから、身をもぎはなしたい欲求にかられるとか。なんつってな。
 二重影はえらく面白げ。なんつーか容赦ない饗応ぶりである。シェフの本懐はなによりも客を満腹させることにある、とでもいいたげな。日本料理なら、懐石だの寿司だのじゃなくて鍋物。ああ、どれだけ食わせてくれるんだい?

 蘊蓄については、小栗虫太郎の眩暈力(笠井潔)とか、そんな感じか。披歴される知識の内容ではなく、煙に巻き、幻惑し、なんつうかサイケな?気分に至らせる効果ね。あのウサギの格好とかも含めて。ってのはどっかのレビューサイトにあったような。


4月10日(火)

 Hello Again(「ねがぽじ」のシナリオライター枕流氏のデビュー作)を探しに出るも見つからず。まあ、見かけても買うかどうかわからんのだが、なんとなくブツを見たくなったのよ。

 「ねがぽじ」再読中。もう少ししたら何か書けると思う。


4月9日(月)

 「ねがぽじ」終了。透EDはないのか……。

 枕流ってことは漱石ファン?

 おまけで入ってたHello Again体験版をやる。今度探しに行こう。
 そうだ、体験版のみの何かがあるかもしれない、と思いあわてて「ねがぽじ」体験版を落とす。


4月8日(日)

 花見2。日曜なのでたいした酒はなし。
 帰りの車中にて水森しずく「悪魔の論理学」読了。「嫌いにならないでね」を読み終えたって話をしたら案の定貸し付けられた。しかも別の人間に。何で流行ってるんだ? 
 平和だ。癒される。

 姫路のジュンク堂で大塚英志「物語の体操」買う。

 今はもういない自分、というのがありまして。まあ本当にいたのか知りませんが。今では男同士ってのはそんなにナチュラルに読めないし、それしか読めないってこともない。ボーズラブは嫌いだし(これはガンダム原理主義者にとってのSDガンダムである、という面もあるのですが)、やおいでも大丈夫なんて間違っても言わない。稀に例外的な作家がいるだけだ。
 一方では、いまだにギャルゲーに萌えてる自分ってのがいまいち板に付かない気はする。しかしそこはそれ、萌えとは反復でありいうなれば修行だ。精神に刻み込んだ鍛錬の日々が徐々に実感を与えてくれるので、内側から自然と萌え出ずるのではない。空手家のアイデンテティを保証するのは肉体に刻んだ鍛錬の日々でしかあるまい。
 MK2さんが10年前の萌えキャラの大半が男性キャラって話をしてらしたけど、わたしゃ10年前なら女性キャラはゼロだ。まあ、そういうのがやたらに勢いあった時代ではあったし。白泉男児ってのは世代論ですし。
 今でも当たり前に男と女が恋愛するのはもうひとつ苦手で、人外萌えだったり麻枝キャラ(人間未満)萌えだったりするわけですが。男と女という自然性に回収されることへの嫌悪ってヤツ? 僕が七瀬が好きなのは、ひとつにはあの「乙女」ってのが明確に不自然だからです。王子様も。つうか、そういう回路を通してようやく、人間の女性って設定のキャラに萌えることができる、という面はある。あと、眼鏡っ娘とか幼なじみってのはオレ的には人間とは別の種族だ。エルフとか羽根とかそのへんと同列の概念である。属性ってのはそういうことだ。

 厳密には自然性って言っていいのかどうか知りませんが、まあみんなが自然だと思ってるものを指すってことで。

 何が書きたいんだろうオレ。


4月7日(土)

 上洛。車中にて水森しずく「嫌いにならないでね」読了。これで返せる。
 若いっていいなあ。
 ねがぽじなアタマなので、あ、放送部つながりだ、とか。遠場透ってたぶん瞳一郎くらい有能だよな、とか。

 鴨川で花見。喜多屋山廃純米と御代栄甲賀流吟醸。
 さらに某氏宅で飲み。甲賀流どぶろくうま酒と常きげん。あとPantser氏が酒蔵見学のとき買ってきた何か。
 久々に質量ともに満足するまで飲んだ。適量だ。

 困ったさんとかシスプリのアニメとか見た。後者については某氏が「ウテナとか間違って好きになったような人が作ってるんだろうか」みたいなことを。なるほど。
 困ったさんに萌えたような記憶はあるのだが内容をひとつも覚えてない。不覚。酒が入ってたなんてイイワケになりゃしねえ。


4月5日(木)

 「ねがぽじ」購入。

 痛みが欲しかったんですよ。それを与えてくれそうな予感がした。
 なんつーかあの笑顔はヤバい。「貧相な体つきを、今でも気にしている」というコメントも。同じ学校に同じ格好で戻ってくるってシチュエーションからして既にか。

 ビンゴ!
 痛いなあもう。そこまでやるか。おれがわるかった。
 その笑顔の下にどれほどのものが押し込められているのだろうとか。当人も気付いてないのではないかとか。そういう予測というか期待のもとに始めたわけですが。思ったより自覚的だった。

 香澄がかわいいとか。美奈萌がいいやつだとか。透がかっこいいとか。そんな感じ。

 まひるに男の格好なんかさせた日には可愛くて萌え死にそうだ。


4月4日(水)

 最近のダンドーバツイチはやりすぎだと思う。

 網膜剥離ネタから鷹村というキャラを掘り下げる方向に行くらしい。どちらにせよ、いったん鷹村のケリは付けたいのか。

 最近、成瀬川のどうしようもなさが愛しくてなりません。だめな子を見るとスイッチ入るらしい。シンパシイ。

 村枝賢一「RED」は正直最近イマイチだなーと思ってたのだが、ブルーが凄い。やってることはともかく、言ってることが。彼は癒されたのだろうか?


4月4日(火)

 早見裕司「世界線の上で一服」再読。ああ、エリスに馬鹿にされたり叱られたり睨まれたり足を踏まれたり説教されたりじたばたされたりしてえ。

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