ギャルゲー日記(仮)

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2月26日

 色々あってアレクサンダー戦記3周目。しかし飽きない。
 今回は世界史の教科書と資料集を横目に見つつ。まあ、進軍ルートくらいしか関係はないのだが。あと、ダリウス三世の戦車に迫る騎馬のアレクサンダーの図とか。あれも一応戦車だよなあ。あれも一応馬だよなあ。むう。

 absurdには「不条理」と「滑稽」の意味があり笑える世界はそのまま残酷な強度に満ちた世界でもある笑いは緊張の緩和であり受け容れ難きものを馴致するつまりとうてい理性の耐えることのできないものに笑いという答を与え一息つくわけだがそれが必要であるということはその情景は人によって図式化され単純化され合理化され解釈される以前にこの世界がそうであったような異様さをそなえているともいえるそのようなかんがえは幻想だとしてもブラック・ユーモアに彩られたような世界で明滅する美そうした美は人に深い印象を与えずにはおかないこれは単なる経験則である。

 ところでオープニングは実は本編映像の編集と加工だけで出来上がっているので、本編映像を覚え込むとますます面白い。なんで「あなたのキスを数えましょう」にこんな映像が。しかも合ってるし。編集するとまるで違う意味の映像ができあがるのがおもしろい。いや、実に覚えのある感覚だけど。

 追いコン合わせで上洛した紅石とみみなちゃんを交えて観ていたのだが、紅石からダリウス三世のキャラデが山寺宏一に似てる説が出た。成程。

2月24日

 シェイクアスピアを新潮文庫で読んでるついでに福田恆存『人間・この劇的なるもの』(中公文庫)を読む。今更。
 アレクサンダーとヘファエステオンって何かに似てる気がすると思ったら、ハムレットとホレイショーか。
 ヘファエステオンは、アレクサンダーのやることなら大抵、なんか楽しそうなんである。絶対の忠誠ってのとはすこし違う。あかりみたいに「しょうがないなあ」と言いつつ変わらないことを信じているのとも違う。ただ友が自分で自分の運命を生きることだけを望む。アレクサンダーの御身大事ってのとも違って、道半ばで倒れることを防ぐ気はあっても、行くところまで行って破滅するならそれでいいと思ってるんじゃなかろうかとか。
 と思った時点でなんで読んでたのか忘れてしまった。そんなもんだ。福田恆存はわりとヤバめな匂いがするのでそのへん角川春樹と相性がいいって気がせんでもない。

2月23日

 「天地無用! in LOVE 2」をビデオで観る。
 夢を見ていた、自分にもあの人にも嘘をついて騙していた、そう言って彼女は泣く。じっちゃんは言います。幸せな夢を見た時間があったからこそ、彼女は自分をとりもどせたのだ、と。僕はこの言葉から単なる事実以上のものを引き出すつもりはない。

2月20日

 「ああ、不幸なおかた! 御自分が誰であるかを、どうかけっして、お知りになることのありませぬように!」

 アレクサンダー戦記のせいでギリシャづいてるのか、ソポクレス「オイディプス王」(岩波文庫)を読んでしまう。しっかし、やるせなくてかなわん話やなあ。知ってたけど。
 ユング派にいわせればオイディプス伝説のような「父殺し」の物語の普遍性なんてのはデッチ上げであるそうなのだが、ソフォクレスの描き出した人間の状況は普遍的だ。普遍的といってわるければ、現代でも違和感なく読めてしまう部分が多い。人間は自分のした経験の意味を知ることができないし、知った頃には手遅れである、という面において特に。
 「一体そこからどんな物語が発想できるだろう」(Kanon真琴シナリオ)、とつぶやくとき、繰り返されているのはあの悲劇である。天野のコトバがいかにも神託か予言めいて聞こえるなら尚更そうだ。予言者ならぬ彼女はちゃんと自分の過去から真相を引っ張り出すのだし、単なる機能といってしまうにはキャラクターでありすぎるけれども。しかしあのときは、雪の校庭が古代の王宮か神殿にでもかわったような気がしたものである。ひとつの言葉が決定的な運命を告げ、慣れ親しんだ現実を別のものにかえてしまうような瞬間には。
 しかしそれは、ありふれた思いによって織り成されているあたりまえのストーリーに着地するべきものだ。ソフォクレスだって人間の善意だけで悲劇を織り成してはいるが、着地点はカタストロフであり、英雄的な高揚であろう。Kanonにおいては悲劇はいわば呪いが解かれるように解かれる。残るのは普通の人間の思いだけである。

「これにて吾が術は破れ、この身に残る力は生まれながらの現身の、真にはかなき境涯、(略)こうして領地を二たび手に入れ、吾を欺きし輩を許したからには、かかる裸島には留まりとうはございませぬ、何とぞ皆様の呪[まじな]いをお解き下さいますよう……」(シェイクスピア「あらし」エピローグ)。

 いちいち別のものに言い換えてずらしてしまうのはどうかと思うけど性分だからなあ。

2月19日

 大叙事ファンタジー冒険アニメーション「アレクサンダー戦記」を観せてもらった。ものすごいアニメだ。うわさには聞いていたがこれほどのものとは!
 原哲夫の時代モノを荒木飛呂彦が絵を描いてるような、といえばやや近いか。たまに車田正美。
 そうか、これがイデアか……

 ブッ飛んだところばかり取り沙汰されるこのアニメであるが、村井さだゆきの脚本もかなりよいのである。プトレマイオスなんか最高。池田秀一の情けない役ってのもよい。
 毎回入る冒頭のナレーションも本編映像に負けず劣らずファンタスティックなおことばである。

 インドまで来ると、なるほどこりゃ世界の果てまで来てしもうたわい、という気に本当になるのである。ペルシャの都バビロンをみると、こりゃむちゃくちゃ凄い都やなーという気が見事にする。これはこれでひとつのリアルかと。

2月17日

 シェイクスピア「あらし」を読む。舞シナリオの元ネタか。たしかに作品全体の構造がわりとそれっぽいかも。
 ところで細部でも気になるのはあって。
「……よくあるやつだが、嘘を真と言い触らし、己の記憶に磨きをかけているうち、やがては嘘も真となる、その手で奴は己れが真実ミラノ大公だと思込むようになってしもうたのだ(略)己れが演ずる役柄とそれを演ずる当の役者と、この両者を隔てる壁を取除くため、奴は是が非でも真のミラノ大公に成ろうとした――」

2月14日

 八犬伝綺想がらみでフォン=フランツ「永遠の少年――『星の王子さま』の深層」(紀伊國屋書店)読んでる。tatuyaさんの影響もあるのだが。
 「綺想」に「ユング派特有の「成長」礼賛が気にはなるが瞥見の価値はある」って書いてあったけどその通りってとこ。「真の自己実現」みたいな発想はちょっとなあ。形態学としちゃ面白いんだけどユング派は。元型はあんまり実体的に措定されると引く。
 作家の実人生と作品と受容者の心性をイコールととらえるあたり心理学は気楽なもんだ。美の問題が真や善に従属するとなれば尚更。まあ、読みかけなんだけど。

 面白いのはしばしば作家がじぶんの作品を模倣するかのように生きてしまうことか。
 個人的に、元型という発想への興味は、われわれはじぶんの思惑とは無縁に、あるストーリーを生かされ必然付けられまう、ということだ。よく「ナントカ元型に引きずられる」って言われるやつ。

 とか思ってたら……

 矢幡洋によれば、
「『永遠の少年―星の王子さまの深層』には致命的な問題点がある。それは、サン・テグジュペリの伝記的事実に関して、基本的な誤記があまりにも多すぎることだ。」(「「星の王子さま」の心理学」大和書房)

 以上ここから引っ張ってきた。

 そんなあ。

2月13日

 小谷野敦「新編 八犬伝綺想――英米文学と『南総里見八犬伝』」(ちくま学芸文庫)読了。
 水と竜のイメージに護られた「永遠の少年」たちは母胎へと逃走する。渡られない川、ブリュンヒルデを助けないジークフリート。犬士たちのユートピア安房に「永遠の世界」を見た! とかなんとか。そして、地べたをはいつくばることを覚え、時を受け容れた男が、その世界を終わらせる。おお、ONEだ。tatuyaさんの論考とごいっしょにどうぞってところでしょうか。「成熟と喪失」でもあるし。

 ジョージ・スタイナー(「悲劇の死」ちくま学芸文庫)とユング(というかフォン=フランツ「永遠の少年」紀伊国屋書店)をラカンにおいて統合し「成長とは悲劇を生きることだ」とする。「ハックルベリー・フィン」のトムをマクベス、丶大法師をコロノスのオイディプスに比し、だいたいそのあたりを馬琴が帰着した点ととらえているようだ。
 信乃はハムレットと比較される。「永遠の少年」は犬士たちのほかにエイハブ船長やハック・フィン。イキのいい比較文学である。ちなみに解説は森毅「八犬伝を構造主義から読む」。
 ほとんど黒死館の法水のごとき情報量の「綺想」であるが(馬琴とメルヴィルの衒学に付き合っているためもある)、何も知らなくても論理を追うことはできる。
 ハナシの流れは「永遠の少年」か江藤淳「成熟と喪失」的らしい。両方とも読んでないけど。こっちだけ読んでも問題ないと思う。
 水と竜と月は母性の象徴。月の女神ともいわれるイシュタルは下半身は魚である。だからMOON.の郁未さんは鱗におおわれた皮膚を幻視するわけな。

 自分の感じた恍惚感と幸福感に容赦なくメスを入れついには否定してゆく。因果なものだと思う。身を切るような思いで書いていたに違いない。モラトリアム青年としてはこっちも痛いのだが、そのぶん楽しめるっちゃあそうなので得といえば得である。

 八犬伝のサイトといえばここしかないでしょう。

2月9日

 仕方がないので(何がだ)笠井潔「物語のウロボロス 日本幻想作家論」(ちくま学芸文庫)を読む。
 とよさんからの情報によりヤングチャンピオンのマンガ版バトルロワイヤルを立ち読み。うわーまんま「バロン・ゴング・バトル」だよ。ヒャッホウ!
 原作の該当部分を読み返す。あーなるほどたしかにこりゃSilverMoonつーか日吉亮のわかったような口そのまんまだわ。

 やや古い話だがアッパーズの板垣恵介版餓狼伝。
 「愛がある 哀しみもある…… しかし 凌辱がないでしょッッッ!」
 エロゲーの話かと思った。ああ、SilverMoonの真琴シナリオでオレが泣けなかった理由がわかったような。受けてやった言葉で心が痛むはずもなし。ワタシから心をもぎ取って凌辱するのです。とかなんとか。
 泣き虫サクラは大好きです。

2月7日

 以前なりゆきで久弥氏のシナリオを「能天気」つっちまったので少しフォロー。まあ、ああいう言い方は方法的なもので、一意的な価値評価を行うものではない、ということは察していただけると有り難い。どの道ぼくがどうこう言ったくらいではゆるがないだろうけど。
 個人的に久弥氏のシナリオで印象に残っているのは、MOON.の誕生会のシーンであり、みさき先輩にかかってきた電話であり、栞のあの夜の回想シーンであり、まあそういったもろもろ。そのへんの印象を主体に再構成。
 久弥氏のヒロインはしばしば外的要因によって個性付けられすぎている、と批判されることがある。久弥氏のシナリオは偶発的・外因的事象に頼りすぎているとも。
 がこれを単に不備ととらえてしまっては不毛な感想におわるだろう。むしろ、現実の偶然性(外因)はどこまでも残酷にも優しくもはたらく、という認識を徹底したところに久弥氏の特徴があるように思える。もしかしたらあれが奇跡だったのかもしれませんね。色々なことが予定調和的に重なったのよ。

 外部の事象は人間の意図から独立していて、しばしば意志的な営みを中断させる。茜にとって浩平の出現がそうであったように。客観世界が主観的意図に存在として先行するといってしまえば極めて自然的/常識的な世界認識のタイプなのだが、みさき先輩にかかってきた電話や栞シナリオやMOON.の「いろいろなことが予定調和的に重なったのよ」といった部分を思い起こすと、たんにそう言っては済まされないような徹底ぶりが感じられる。

 孫引きになるが、会川昇がどこかでユングの「世界は果てしなく残酷で、同時に美しい」(うろおぼえ)といった言葉を引用していたが、根底にはそうした世界感受のかたちが見出せるように思う。久弥氏のシナリオに心に沁みいるような優しさがあるとすれば、同時にどこまでも残酷でありうる(MOON.の久弥氏パートをみるがいい)、といったことと表裏一体であろう。

 世界は、こっちの心の持ちようなどかかわりなく、いくらでも苛酷でありうる、ということだ。麻枝氏のような、心の持ちようひとつで現実が変容するような気安さは無縁であるともいえる。ともすれば麻枝氏に比して普通にみえるかもしれないが、かえってみもふたもなく徹底した書き手であるかもしれない。

 久弥氏においてはかえって特異なこととして、内的なしがらみがドラマの核をなす例としてONEの澪シナリオを挙げることができるが、主人公と澪の関係を内的に必然づけるはずの「約束」はうまく機能していないように僕には感じられる。単なる練り込み不足といって済ませてもいいのだが。

2月3日

◆Silver Moon

 真琴シナリオはちょっとキツかった。まあ巴シナリオも途中までキツかったんだけど。
 序盤から中盤にかけての不満が終わってみれば解消されてるのでオッケーであるが。多少食い足りない部分はあるけど。
 シルムンのシナリオはどれも、一見わかりやすいテーマなり図式なりを感じさせるのだが、どっこい世の中そう一筋縄では行かない、と感じさせる部分があって、そのへんが好きなわけねオレ。
 よくいわれるように、ヒロインが内的にかかえこんだものから解放される、というコンセプトだかテーマだかってのはあるんだが、むしろテーマよりリアリズムでしょコレ。ンな図式で語り尽くせるのはせいぜい同級生2くらいだ。

 何年も抱え込んだものにはそれ相応のしぶとさがあって、それがキャラの歩んできた年月を感じさせる仕組みになっている。それはもはや自分の一部になってしまっていて、会話や行動や心の動きの端々に不意にしかし自然にあらわれる。吹っ切ったと思っても無意識に足をとられる。また性格の一部なのだから今更すべてを捨て去る必要も感じさせない。変わるときゃ変わるが気がついたら変わってたり変わっても実感なかったり、大上段に啖呵を切ったはずが、あとになってみると夢の中のように思えたりだ。
 ここまで執拗にリアルに拘るのは並じゃない。唐突であるにもかかわらず自然におもえるシーンの数々。結論を想定せずリアルタイムに生成していくような会話。いちいち立ち止まって考え込んではゆっくりと言葉を返すような。

 真琴シナリオは終盤まで食い足りないままだった。底の浅い馴れ合いのような会話。彼女に必要とされる言葉を用意してやるだけの。彼女の「成長」には別に感銘は受けなかった。言って欲しいセリフを言ってくれるようになったなーくらいなもんだ。
 しかしそこで、内気さが解決されることが同時に新たな問題を抱え込むことでもある……と持ってくるあたりがよいのである。亮を喪ったあとの真琴の描写に至ってはもはや言うだけ野暮ってもんだ(今更)。図式からはみ出たキャラの真情ってやつだ。だから野暮だってば。いっそバッドエンドに行くしか! つーか立ち直れないかも俺。とかそんな感じ。

2月2日

 宮沢賢治か。なるほど。

◆Silver Moon

 ぐわーなんで芥川女史シナリオ人気ないんやー、の今木です。
 心理描写の立体感や踏み込みの容赦なさにおいても、単純にテキストのノリだけ眺めてもすっげーいいじゃないか。尻上がりに上がっていくタイプなんで馴染むまでちと苦しい面もあるが、なにかキャラクター性と一致しててよいでござるよ。
 ONEの茜シナリオとかホワルバのはるかシナリオ、表面的な繊細さと裏腹のナニカを感じさせ心にすうっと切り込むのとは対極、不作法にざかざかと心に踏み込んでくるタイプかのう。思わせぶりな含みを持たせず、なんでも口に出して言っちまうような。無神経? それがいい。

 芥川女史は、優しい気遣いよりは無神経にココロの中に踏み込んでくるようなやりとりがキーになるタイプで、そのへんもシナリオのテイストに反映してますね。久弥氏と麻枝氏なら麻枝氏か(やめい)。ホラ主人公無神経ってゆわれてるし(やめろってば)。ストーリー的には久弥氏のアレを髣髴とさせますが。

 他のシナリオだと、主人公側の事情を話すに至る過程とそん後のヒロインの反応がギモンだったりするんだけど、これはきちんとコトバを費やしてました。気持ちの持って行き場がなくて困るってことはなかったです。
 言ってはなんだが、某シナリオとか某シナリオだと、きちんと描くことから目を背けてる、という感じでしたので。これは切り込んでたな。
 なんつーか、あんまり甘やかさずに描いてるかなと。キャラ描写は妥協せずにも自分に甘えを許さず。

 とにかくこの書き手、キャラがちゃんとアタマの中に棲んでいる。そうでなきゃこういうセリフもこういう行動も出せない、或は納得できるように描けない。世評が高いのも実にわかるハナシ。主人公(の設定)の棲みつきっぷりがイマイチ甘いのが困るんだけど。ってだからそういうこと言うなよ。
 書き手が自分のものにできている部分と、できていない部分があるので、そのどちらに目が行くかで好印象と悪印象にわかれるかな。
 うってかわってベタぼめしとるようだけど、要は以前「光るモノはあるんだが」くらいにとどめていた部分を話してるだけですしねこれも。やりすぎで冷める部分があるのはかわらず(展開とかじゃなくて演出が)。

◆HOUSE

 大林宣彦の処女作「HOUSE」がTVでやるということは事件である。いや、俺は初見だが。身の回りの映画見る連中が凄い勢いで薦めるのでして。そんなわけで某所にて鑑賞会。
 これはすごい。どういうすごさかというとウテナを初めて見たようなすごさである。いや、ウテナは今見るとずいぶんとオトナの計算が働いているしわかりやすいように妥協している部分も目に付くのだが、こっちはやりたい放題である(気がする)。すごい演出が山ほどあるが、大向こうを狙ったとかいうものではなく単に楽しいからやっちまったような感じがある。まあ、20年以上前のものなので、ねらわれていたとしてもわからないのだろうけれども。
 一応、館モノのホラーなのだが……なんかそういうことはどうでもよくなってくるなこれ。
 思春期の少女の偏向した世界認識を具現化したような、という弁あり。

 そういやSilverMoonも、思春期の過大な自己評価と自己劇化の権化みたいな作品だよなあ。でもってヒロインは自己を相対化する契機かのう。こういう見方はよくないかな。
 なんぼなんでもカッコ付けすぎで失笑を誘うのだが。>日吉亮
 自意識過剰と世界解釈の衝動を全開放したような語り口。青年期にありがちな過大な自己評価やロマン化の表象にほかならぬGEOの設定(ようするに、自分を特別な人間だと思いたがるあまりの妄想じみている。知能が高いわりには凡庸かつ浅薄なセリフしか吐かないし)。価値ある特別な人間ばかりの人間関係。世界は銀英伝のように単純。いいやつは有能で、腐った貴族はことごとく無能。寺谷さんと例の三人組とか。でもってひとかどの人物からは必ず好意と敬意で迎えられるのな。「わが青春のアルカディア」や「創竜伝」よろしく、主人公の尊大な自我を脅かすようなものはこの世界に存在しない。
 シルムンの感想漁ってたら、この主人公のこと本気でカッコいいと思ってる人がいた。うへえ。寺谷との関係を心地良いと言ってる人がいたのでアタマを抱えた。あれは都合よすぎて気持ち悪いよ。
 要するに他者性を欠いたモノローグ的な世界ってヤツ。書き手はこういうことに半ば自覚的でありつつ半ば無意識に足をとられているところがあってただこの作品の凄いところは、そういう世界がどのように破られるか、という部分に僕は力点を置きたいのだが。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうという小癪な夢がどのように破られるか。その前段として、思春期的な世界感覚がものすごくナマで出てるのがすでに高評価に転じているのであるが。
 どうも理屈っぽいこと喋ってるとこう、亮と巴の会話みたいでアレ他人事じゃないんだわ状態ですな。

2月1日

◆Silver Moon

 あったかい白菜を食いながら(途中から真面目にやったけど)SilverMoonをやったら随分とキャラが生きて見えてきた。ささくれた心が癒されたせいなのか腹が満たされて余裕があったからか、こう言ってはなんだが片手間にやったのがよかったのか。
 あんときゃMemories Offの唯笑シナリオへの悪印象を引きずったままやっちまったし。そんなわけで、先月書いたやつは大幅削除改稿した。

 えー、おっとこまえな芥川女史がけっこういい感じな今日このごろ、みなさまにおかれてはいかがお過ごしか。さんざん言われてる巴さんのグラフィックが気に入ってきてるぜコンチクショー。なんつーかツラダマシイっての? そんなんが感じられて良いでござるよ。今はなきfine'sFactoryで書かれてたことがようやくわかった。まあ、洗練された巧い絵に不自由しなくなった、という情況も欠かせないが。
 フッと口元をゆるめて空を見上げたとき、私には彼女の声が聞こえました。聞こえましたとも! あーんな言い回しの底に何があるか見えた気がしましたともええ。桑!

 主人公の言い草? いいんじゃない? 外の世界を知らずに育った若僧が躍起になって世界を解釈してるカンジがよくでとる。わかったような講釈のかたちになるのはまあ性格なんだろう。真琴、こんな奴の言うこと真面目に聞いちゃだめだよう。やよいなら安心だけど。でも考え込まれるとちょっと罪悪感。そのへんがいいんだが。
 主人公に付き合わせる相手がことごとく選ばれし人間じみてるのも、GEO出身の天才サマは結局、凡人には魅力を感じることができないっつーことで納得いく。ささくれないの。

  同じドラッグでもセッティング次第、ということか。見方とか誠実さって言ってもいいんだけど。

 そういえば学園便利屋の鈴木斉くんもスモーカーだったなあ。案外このテのキャラの統計を取ってみれば有意なデエタムになるかもしれぬ。


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