ギャルゲー日記(仮)

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7月27日(火)

 25日に続きONEと「永遠」の話。つうか補足。未プレイ者はネタバレ注意。

 えー、MOON.に下のようなセリフがありまして。範囲指定でヨロ。

  「不可視の力とは、邪な力」
「自分の正の意志とは、相対する意志を持った力」
「自分の願いに反し、作動する力」
「陽は陰を造り、正は邪を造る」
「そして互いはせめぎ合う」
「すなわち法則だよ」
「そしておまえは十六の歳になるまで、その力の目覚めを知らず生きてきた」
「だがその力をも目覚めさせる正の力がおまえの中で働いたのだな」
「母と暮らす穏やかな日々に、おまえはこう願った」
「この生活を失いたくない」
「違うか」
「それが不可視の力が放たれる引き金となった」
「穏やかな日々を大切に思う正の心」
「それに反す、おまえの中に潜む邪の意志がその穏やかな日々を壊したのだよ」

 上みたいな感覚はわかりますね。実はまるきり理屈になってねえんだけど、人の心のからくりとして、あるでしょ?
 ただ、上のセリフの「MOON.」内での位置付けはちょっとアレなんですが……
 でも、「ONE」もそういう感覚に基いているのではないかと僕は思ってる。単なる連想って話もあるが。まあ上のじゃシャドウと変わらないので、ONEはもうちっと高度ですけどね。

 茜に「この現実はあなたにとって意味のないものなんですか?」って言われたとき、かなり違和感があった。
 現実がヤだから(永遠の世界へ行きたいから)「あちらの世界へ行く」ってのはねえ。違うと思ったんすよ、この作品に関しては。

 そりゃまあ深読みすれば結局はそういうことになっちゃうのかもしれないけど。

 最近ちょっとヤバいです。冗談にでも「永遠の世界に行きたい」って言われたら「そうしたいのならまず、この日常のかけがえのなさを認識することだ。それが永遠の世界へ消えるための第一歩」なんて答えて、「は?」って顔をされかねない。つうか昨日、ヤバかった。

7月25日(日)

 いかにして「永遠」という概念がひとのアタマに棲みつくか。以下は「ONE」ネタバレじゃないけど先入観は植え付けるので未プレイ者は読まないこと。

 ウテナやONEでの「永遠」というのを、たとえば絶対的なもの無限のもの彼岸のもの、そういったものへの憧れとして語ることは、個人的には違和感がある。
 たとえば吸血鬼モノとか銀河鉄道999の「永遠のいのち」みたいなソレとは全然違うわけで。

 ぶっちゃけた話ぼくは「ウテナ」や「ONE」の永遠にはロマンティシズムのカケラも感じない。わかりやすい実感としてある。

 美しい思い出を持つ者だけが永遠を願うことを許される。デュエリストは過去の思い出というイリュージョンによって決闘の場に立つ。そう言ったのは御影草時だけれど。

 岸田秀なんかに言わせると「未来には無限の可能性がある」なんて人が言うのは、無限の悔恨を埋め合わせるためのものなんだけど。人間はアナクロニズムの動物であり、過去ありえた可能性をはてしなくうじうじと悩み、それゆえに未来は埋め合わせのために時間軸上に投影された過去(というより人間の悔恨から時間は「発明」されたのだ)にほかならない。

 きりのない悔恨を投影する軸を少し変えれば、それが「永遠」だ。ウテナについては、「永遠」というのが「きりのない悔恨」以外の何者でもないことは自明だと思うけど。

 逃がした魚は大きい。それが有限な大きさで済むのは、また釣りに行くことができるからで。二度と釣りに行けないとしたら、逃がした魚は無限の大きさを持ちかねない。
 思い出はとりかえしがつかない。とりかえしがつかない、という前提のもとで「思い出」が生成する。思い出とは、とりかえしのつかなさそのもののことだ。無限に美しくあるほかはない。
 追憶は美しい。美しいものは追憶だけである。

 もひとつ。ONEの「永遠」と「日常」はむしろ共犯関係であって、対立図式を立てることはできない、ということ。

 日常が大切に思えるのは、それがあらかじめ失われているからだ。現在をあたかも追憶のように眺める視線が、日常を価値として立ち上げるわけで。しかしそれは同時に、現在(日常)を過去(永遠)へと葬り去る原動力なわけで。

 かわりゆく現在をかけがえのない瞬間だと思ったからこそ、それを自ら失う破目になるのだ。日常を貴重だと思うから永遠なんてものにとらわれるのさ。

 勝つと思うな思わば負けよ。

 不可視の力?
 こういうことをどうにか筋道立てて述べたいものだが。

 参考:岸田秀「時間と空間の起源」(『ものぐさ精神分析』所収)、三浦雅士「自分が死ぬということ」前書き。

 あとはそうだね、 そんな子供の口約束程度のもののせいでおとぎ話レベルのもので現実が侵食されてイイノカ、という問題がありますが(そういうことを言うヒトがいるけど)、話し手(主人公)がソレを自覚してるってことは、現実ってのはその程度の脆いものである、という世界観として受け取るしかねえんじゃねえの? 最低でも。


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