ギャルゲー日記(仮)

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10月11日(月)

◆嬌烙の館

 思い出したモノ:昔のシーズウェア。剣乃でゆーと、EVEじゃなくてXENON。ゴルドラン。竹本健治。最後はちょっと麻耶雄高『翼ある闇』。ウテナ。そういえば国際軽率機構レビューだと寺山修司っぽいとか。ああそうそう、ここのTHEガッツ!のレビューは絶対読むように。命令。さてここで、それはさておき、と言うことは許されるだろうか?

 以下しばらくミステリな人にしか通用しない話します。「Knight in a strange land」「For splendid ruin」「Carnival of a revelation」「Wings with darkness」「Paradise Lost in the box」って章題にニヤリとすれ。「異邦の騎士」「天啓の宴」「翼ある闇」「匣の中の失楽」はいいとしてあとひとつ何だ。並びからいって「虚無への供物」あたりが来そうなものだが、 しかしそう訳せるものやら。
 本編中にも「正装させてどうするの。メルカトル氏にでもするつもり?」「ワシ鼻のコカ中だって納得してくれるわよ」といったネタには事欠かない。「館の本質直観」なんて言い出すし。むろん小ネタだけど。

 えー女の子との会話がとにかく楽しい。どう楽しいかというとちょっと変わってるんで通常のギャルゲーマーにはひょっとしたら全然楽しくないかも。一言でいうと主人公に優しくないです(比較的)。そのへん『夢幻夜想曲』あたりに感じた違和感が無くてよろしい。なんかこー、富野アニメ的っつーか。どいつもこいつも人の話聞いちゃいねえ所が良し。
 登場人物全員に一切の記憶は無い。投げ込まれた状況は不条理そのもの。そんな中で、それぞれの流儀で自分を保ち続ける。というか、不自然なまでにキャラが立っている。あたかも自意識を持ってしまったゲームの駒。
 夢幻夜想曲とは正反対で、間違っても過去のしがらみから解放された自分を取り戻したりしない。かれらの存在は宙吊りにされっぱなし。何も回復されないし、しかるべき欠如も見出されない。記憶は失われたままだ。
 必然性や連続性は期待するたび裏切られる。唐突で脈絡がないのが現実というものだ、と言わんばかり。主観的な意図や目的と、「世界」のあいだには、決定的な断絶がある。
 バタイユ的な意味での「行動」(要するに目的に沿って奮励努力して実現する、ということ)の不可能性がつねに告知されるわけだ。
 もっとわかりやすく言うと、「人生なんて徒労の連続だ」という世界観が呈示される。
 先へ進むこと、積み重ねて到達すること、そんなことは起こり得ない。ただループするだけだ。およそ目的−成就とか、期待−実現といった連鎖はありえない。たとえばパズルを解いて扉を開けるのがゲームの基本なのだが、その実、「鍵をあけようとしたが鍵は回らず途中で折れる、しかし扉が開く」「パズルを解いたらシャッターが上がったが人間が通れるほどではなく、結局シャッターを破る」「実は引き戸だったことに気付く(最初から鍵などかかっていなかった)」といったふうに、およそ必然的な因果関係の存在しないことが執拗に示される。
(中断)

10月10日(日)

◆『アル中』中

 『アルバムの中の微笑み』をだいたい終える。

 なんか桜木霞に尽きるなーってとこ。どう考えてもシナリオ屋に一番愛されとるし。
 えーメイド服着てるけど、ポジション的には執事みたいな感じかのう。坊ちゃまが幼いころからずっと面倒を見て参りました、とかそんな感じの。何かにつけ「霞、どう思う?」「今のは征一郎さまが悪いと思います」とかそんな感じだし。働かせないと落ち込むので迂闊に仕事を手伝えないし。

 ではここからどんな利点が可能だろうか。まずは、もはや半身と言っていいほど一緒にいることが自然であること。オレサマがちょっと危険なマネをするだけで困った顔が見れること。何でも話し合える相手であること。落ち込んだ時に泣き付ける相手。頭を撫でてくれる。膝枕。等々。
 結論:甘えさせれ。

 「私って、どうしても、お母さんか妹になってしまうみたいです」
 照れ臭そうに微笑みながら。寂しそうでもあり誇らしげでもあり。あ、私がこんなこと言ったなんて征一郎さんには内緒ですよ、とかなんとか。


 そんなわけで?メイド属性度判定。メイド属性萌え度は2100。メイド属性ダメ度は520。あなたは早速メイドさんを雇うべきですね、だそうだ。

   ちなみにこのゲーム、『東京九龍』みたく、ヒロインの求愛を受け入れた時点でそのキャラのエンディングと相成ります。順番は固定。よって、霞と添い遂げるためには残りのヒロイン全員を振らなきゃならんのじゃよ次から次へと。こういうのはちょっとなあ。

 ところで、「どうして人は自分を愛する異性を愛しかえすことができないのか」(『もてない男』、P87)っての読んだ時、2秒でこのテのギャルゲーを思い出したオレはやはりアレですか?

10月8日(金)

 『川端や泉鏡花が好きだという私の感性の中に、「女」に対するイヤラシイ視線が潜んでいるというフェミニズム批評があるとすれば、事実として私はそれを認める。だが、批評のもたらす「正義」によって感性をつくりかえることはできない。私は長いこと、川端の小説に感動してしまう自分の感傷を嫌ってきた。だがもうやめた。もしこうした私の感性がフェミニズム批評にとっての「悪」ならば、私は甘んじて悪人となろう。』(小谷野敦『〈男の恋〉の文学史』)

サイコドクターあばれ旅日記を読んで安心する。

 そんなわけで今日は雪駄さん自分を感動させた物が、自分自身の正義に反していないとは限らない。といった言葉に深く賛同の意を表しつつ。


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