ギャルゲー日記(仮)

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先月分


3月19日

 引越は26日。ちょっとのびたの。


3月17日

 やはり実家に帰ることになりそう。24日までは京都にいる予定。


3月16日

 三千院くんに借りて『DADDY FACE』を読む。娘モノ中途半端伝奇。
 主人公は大学生で娘は12歳。と聴けばなんらかの方法で時間を越えていると思うのが常識であるのだがいきなり外された。やるな。ギネスブックかー。
 「こどものおもちゃ」は14歳だったっけ。家族観だけ見ればどっちが昔かわからんが。
 俺は樫緒くんの方がいいです。

 当初は剣乃ゆきひろや痕の家族観にはどうも違和感を禁じ得なかったのだが、要するにファンタジーなんだなと納得することにした覚えがある。アリスソフトなんかもろに「男が男であり、女が女であった時代」だもんなあ。


3月15日

 中将氏の 読んでるとRainyBlueをやらねば、という気になってくる。てゆーか見透かされてる?
 雫やプリズマといった最低主人公がヒットするなら13cmのゲームには触ってみた方がいいかも。「好き好き大好き!」「矯烙の館」「フロレアール〜すきすきだいすき〜」あたりを。「好き好き〜」なんか名前まで「長瀬」だ。
 薦められないのはMemoriesOffか。みなもシナリオ以外はちょっと。後ろ向きウジウジ描写にも当り前だが才能が要るのでして。ひと括りにしちゃまずいよなあ。


3月12日

 「矯烙の館」(13cm)コンプ。いったい何度目になるのやら。
 以前も「夢幻夜想曲」の名を出したが、役者と道具立てはほぼ似たようなものであるが作品の性格は正反対である。「夢幻〜」が無邪気っつーかナイーヴな「欠如−回復」という物語への信仰で成り立っているとするなら、こちらは、欠如を回復しようとすればさらなる欠如を呼び寄せるのみだ。解明も解決も存在しないか、謎そのものが否定されるか、ばかげた答を与えられるか。
 必然性だの脈絡だの謎解き(ストーリー上の)といった部分で文句をつけるのはお門違いというより単なる誤読であるのだが、まあそれ以前にエロゲーにはもともとそんなものはない、ということを忘れるべきではないかも。

 あるパズルを解いてある扉の前に移動するとそこから先へ行けるようになるのだが、出るメッセージは「ノブこそついているが実は(スライド式の)引き戸だった。鍵なんか最初からかかっていなかったのだ」というわけで、物語レベルでは「パズルを解く」という行為と「扉が開く」という結果の因果的必然性は否定される。まあ、なにか変化があるはずだ、と信じたからこそ心理的な盲点に気付くことができた、とはいえるのだが、世界には必然性も脈絡も(ついでにどんな正当な解決も)ない。

 まあ手を抜いた説明をすれば、夢幻夜想曲は「物語」であり矯烙の館は「物語の解体」である、というだけで済むのだが。
 あらゆる物語は語られるためではなく壊されるためにこそ存在する、と考えてみるのも一興かと。
 叛乱は常に存在する。


3月6日

 『妖神グルメ』から料理人つながりで梶尾慎治「地球はプレイン・ヨーグルト」を読み返す。おお、これこそコミュニケーションにおけるイロニーの極み。
 「概念該当味覚検索」が原理的に可能かどうか、ってのは野暮なんだろうなあ。そういう人は『ソラリスの陽のもとに』でも読めばよろしい。『戦闘妖精・雪風』でも「ルーツ・サーチ 食心物体X」でもウィトゲンシュタインでも可。この作品はまず娯楽、それからコミュニケーションへのニヒリズムではなくアイロニーという面で最初から問題にすべきであって。誰に話してるんだ?

 コトバという問題については菅浩江「カトレアの真実」がむちゃくちゃ痛かった覚えがあるなあ。「ブルー・フライト」もある意味そうなのだけれど。しかし『雨の檻』(ハヤカワ文庫)って本屋においてないとですか? なんてこったい。


3月5日

 本屋に行ったら菊池秀行『妖神グルメ』の新装版が出ていた。それで今うちにかえって旧版を読み返していたりする。菊池秀行の書いたなかでいちばん面白いのは? ときかれたらコレか『ウェスタン武芸帳』ということになるのである。

「『腹が減っては戦ができぬ』――今回の謎はこれに尽きるのだ。いいかね、オーストラリア沖に出現したクトゥルーはみすみす二人の人間を見逃した。それどころか、追いかけはじめたところへ快速艇の体当たりを食らい、星雲状に分解してしまうお粗末さだ。もう、私の言いたいことがわかったろう。――クトゥルーは飢えている。腹が減って動けぬのだ。そして、次の星辰が巡り来るとき、彼に滅亡の力を振るわせることができるのは、君の料理だけなのだよ」

「料理が進んでも、人間の舌の能力には限界があります。この世のものでない味――決してわからない。従って、つくる方も、この世のものではない料理は無理です。だけど、彼はつくった、つくって食べさせた。(略)……私は彼と争いたい。彼と同じ材料で私の味をつくり、それが邪神に通用するか試してみたいのです」

 オルフェウスなら音楽でやったようなことを、この主人公は料理でやる。
 主人公の超人性もさることながら、「うまいもの」という原理がすべてを支配する世界が現出してしまうのはちょっとした快感である。食の原理が世界を支配し、ラヴクラフトさえもが読み解かれるに至っては。


3月3日

 アレクサンダー絡みで世界史の本を立ち読み。ダリウス三世はガウガメラの戦いで象と「鎌付き戦車」を投入した、という話が載っていた。鎌付き戦車……うっとり。そうか、あれかあ……。

 メーカーフレンドリーってなんかいいコトバだなあ。

 掲示板への返事が仕上がらない。

 ああ、そうだ。喜多屋のページを紹介しておかなくては。


3月2日

 現在では純米吟醸酒として知られる「酔心」の純米酒が復活したらしい。横山大観は91歳で死ぬまで一日二升以上の酔心を消費していたとか、ラベルにそんなことが書いてあった。いつ絵を描いてたんだ。しかしうまい。個人的に吟醸酒は苦手なので(「大信州」とか好きだけど)こっちの方がいい。


3月1日

 otherwiseのページができてたので「SensOff」の紹介を見る。僕にとっては、元長征木(13cm「矯烙の館」「フロレアール〜すきすきだいすき〜」のシナリオライター)氏の新作。
 キャラ紹介をよんでみる。イイ匂いだ。

 遠山啓『数学入門』(岩波新書)を拾い読み。アレクサンダー戦記に関係ありそうなところを。ピュタゴラス教団の幹部ヒッパソスが無理数を言ってしまったために内部の人間に暗殺された話とか、ピュタゴラスはインドでシャカと会見したとか、そんな伝説がのっていた。もしかして常識?
 本格的な入門書なのだが、おおむねカタめの本のほうがこういうエピソードは豊富で使い方もうまい気がする。

 数学史について以前書いたものがあまりにひどかったので抹消。いろいろ検索した中で使えるやつはこれこれこれこれこれこれの「プラトン」の項あたりか。

 たとえばアレクサンダーに迫る暗殺者がですな、「万物は数である おまえに遺恨はないがおまえの数が問題なのだ 安心されよ魂は輪廻転生する 苦しまぬよう一撃にて」って言い出すわけです。万物は数で輪廻転生と来ればピタゴラス教団なわけで。古代数学の力はすごいぞー。
 われわれにとって数ってのは量でしかないんだけど、ここで「数」って言われてるのはnumberであって量ではないですね、とかそういうこと考え出すとこう。数学のために殺すの殺されるのといった話が出てきたり正多面体に宇宙すべての原理が宿ったりってのに、それなりに納得できた方が楽しいかなとか。


先月分

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