ギャルゲー日記(仮)

旧日記はこちら

ダイジェストへ戻る

新しいものほど上になってます。


5月30日(日)

◆富野由悠季全仕事

 キネ旬から出た例のアレ。デカい。
 個人的目玉は北野太乙《『トリトン』の生々しさ――純粋反応体としての富野由悠季――》だったり。

 「日本アニメ史研究序説」の時も思ったけど、この人の評論って、読んでしまうとしばらく富野アニメ見れなくなるんだよなあ。オレの感覚が見事に解体されちゃうんで。ちなみに上の文じたいは、濃ゆくてアタマのいい(小賢しい)人間からのひねくれたラヴコール、みたいな感じですが嫌いではありません。

 富野由悠季は、創出よりは反応のヒトである。キーワードは「反応」と「嫌悪」。そのくせ何かポジティヴなものを呈示しなきゃ気が収まらないもんだから、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。

 ガンダムやイデオンもF91もブレンパワードも、われわれはそれを思想的に乗り越えることはわりと簡単なのだけど、僕はそうしたことにあまり重要性を感じない。富野由悠季に限っては、テーマ的あるいは思想的な分析というのは無効である、というのは実感としてある。富野作品の「テーマ」「思想」について語る評論への違和感は何としたことか。

 そこで語られる「ニュータイプ」も「イデ」も家族論も男女論も、要するにテーマ的な部分だけを取り出しても全然面白くないくせに、どうして富野アニメそのものはあんなに気になるんだろう。
 コトバにするなら、たとえばセリフの「生々しさ」か。それは現実的なセリフを喋ることではなく、にもかかわらずむしろ現実以上にリアルに感じられる、といった。一言でいえば、どいつもこいつも勝手なことばかり言うあの世界。
 もうひとつ挙げるなら、富野作品に入れ込むということが、どうしても、アニメ界への反発(たとえば、既存のロボットアニメに対する)を共有することになっちゃうメカニズム。個人的にこっちはあまり言いたくないけど。

 ガンダム世代、といった感覚を抜きに、今でも富野由悠季に惹かれる人間というのは、おおむねそう感じていると僕は思うのだが、ちゃんとコトバになっているのにお目にかかる機会は少ない。僕にもコトバにするのはムリだったし。
 以下ちょっとだけ引用。

完全に会話が壊れている。というか、誰も他人の話を聞いていない。みんな、ひとりごとを言っているのである。
これが後年、富野セリフとか富野論理と呼ばれるものの、真の正体だ。


 ああっ言い切られてしまったっ。その通りだと思うけど、ミもフタもない。まあ、キャラひとりひとりの立場がどうたらって言うより、このくらいシンプルに言い切ってくれた方がいいか。
 まずは無理解からはじめよう(「違和感の創出」?Gazo今号参照)って感じかのう。

 どうでもいいけど、個人的には、オネアミスとナデシコに好意的なのがそういう理由であったり。


5月28日(金)

◆STENCIL(Gファンタジー増刊)

 創刊号。ピュアガールで「狙いは十年前の『花とゆめ』?」って紹介されてたやつ。ヤオイ抜きで男の子でも大丈夫なのがポイント。
 わかつきめぐみがピンナップ描いてたり坂田靖子がいたりするほかは、やはりGファンタジー増刊なのだった。さもなきゃどうかすると「快楽天」あたりに近いようなのもあったり。比べたら白泉社に失礼だよなあコレ。

 「なつげしょう」(字忘れた)あたりがちょっとヒット。
 最近、身内のギャルゲー系の人々に、エニックス系が妙にヒットしてる。東まゆみとか。そんなわけで読ませてもらったり。つまり、ギャルゲーユーザーにはおすすめの内容か?


5月27日(木)

◆久しぶりの更新

 久しぶり(15日以来)の更新。
 朝から(昨日から)雨。

◆流行りもの

マルチ度チェック は31点(中度)。「ロボットでも愛せる」ってのにチェック入れたのは反則ですか? 


◆あいれん【愛人】[ai-ren]

 『終末期の患者の精神的な救済を目的とした擬似的な配偶者、恋人のような役割を果たす人造遺伝子人間。俗語。』
 あなたのためだけに彼女は生まれました。世界中の誰よりもあなたを愛してくれます。それでは、残された人生をどうぞ幸せに過ごしてください。

 ……いや、なんのことかというと、ヤングアニマルの新連載、田中ユタカ(!)の。

 《愛人》は市の福祉課に申請するとあっさりもらえます。そりゃもうあっさりと。ああ、ボクはもうすぐ死ぬんだな、という実感が、戸惑いとセットでやってくる。
 窓の外は、第三新東京市かヨコハマ買い出し紀行みたいな世界。人類さんもすでに余生の段階のようです。

 このへん雰囲気的にうまくリンクさせれば面白くなるかにゃー。でもなんか、早くも謎解き要素みたいなのが見えてやだなー。
 
 個人的には、このくらい言い訳があればヒットするらしい。田中ユタカは別に好きでもなんでもないのですが。あと、好みとしては人造生体より機械じかけの方がいいのだが、まあどうでもいいか。
 しかし、一話目でだいたいやるべきことはやり尽くしてるような……。

 髪切っちゃったのはちょっと残念。
 あまり関係ないけど、「長髪」ってわりと「ヒトではない」という記号としてはたらく場合があると思うのですが、なんなんでしょうねこういうの。


5月24日(月)

◆あさ

 なんとなくシャケ缶を買って食う。シャッケ缶シャッケ缶どっこでっすか〜、とビバップのエド口調になってしまうのがわれながら謎。
 わかんない人は「東京九龍」やってください。って別にエドに似たキャラが出てるわけじゃないけど。

◆古傷が痛むな……

 朝から雨。地球の雨なのであたたかい(嘘)。
 雨といえば「ONE」である。よく降ってたなあ。あんまりキレイじゃない描写が入りまくりなところ、がわりと独特だった、それがいいか悪いかは別として。
 
 雨といえば茜、というのが普通なんだろうけど、個人的には七瀬なんか妙に印象に残ってたりする。雨の匂いとか下駄箱のシューズの匂い、そういった描写は反則気味にヒットするタチなので。いや、ほっぺをふにふにするのもいいんだけどさ、あのシーンは。
 長森が靴と格闘してたりするのもポイント高い。

 どうせ久弥氏の方が人気あるんだろうけどさ、オレ的には麻枝氏重要。まあ、キャラと泣かせばかりが能でもあるまいよ。


5月23日(日)

◆PS「To Heart」公式ガイドブック、スタッフインタビュー

 これは他人から見せてもらった。ファミ通の攻略本のでかいやつだ。
 高橋龍也と水無月徹と青紫のインタビューが載ってたので読む。PS版ほとんどやってないけど。

 「媚びたセリフは言わせていない」「基本的にギヴアンドテイク」「感動よりコメディ」云々と興味深い発言は多かった。まあ、いちいちコトバの意味が明確でないので、頷けるとも頷けないともいかないのだが。しかし「マルチは女の子にも人気出てるから媚びてない」みたいな言い方はどうもね。お前もそういうこと言うか。
 マルチに関しては、ああいう性格が先にあってロボットが先じゃなくて、でも人間でやると嫌味だから、だそうで。ちょっとミもフタもなくないか? 
 「初音のないしょ!」で、「ぼくたちは彼女のように笑うことはできません」とかなんとか言ってたりするのを読むと、なんとなくロボ属性にスイッチ入るんだけど。
 彼女の心には良い方の半分しかない。不完全な心は美しい、そう思わないかシルキー? って「天使になるもんっ!」最近観てない…電波入んないし。

 マルチよりセリオが好きな某ナゾさんにこの話をしたら「それはちょっと違う」って言われたんだけどね。どう違うかは聞き出してませんが。

 結局のところ、マルチシナリオがあそこまでのものになっちまったのは、あんまり都合よくロボット使うのには抵抗があって、つい「人間ではない」という設定を律義に突き詰めていってしまった結果ではないかと思われるのだが。まあ推測だけどさ。
 スタッフ的には間違って受けてしまったような感覚なんだろうけど、まあそういうもんです。

 To Heart全体から見ると、ちょっと重過ぎてバランス的にヤバいんだけどね。

「ご主人様」問題とか

 PC版のマルチは、ふだんは浩之ちゃんのことを「浩之さん」と呼ぶのだけれど、決定的なシーン(Hシーンと再会、要するに感極まった?とき)「ご主人様」と呼ぶ。本性が出る、と言っていいのかどうかは知らないが、これがファンにはけっこうな不評だったらしい。なんか抗議のハガキでも来たような感じのこと言ってた。
 まあ、「ご主人様」なんて他人行儀っつーかロボット行儀で呼ばれると淋しいってのはわかるけど、むしろ「マルチ的におかしい」とか「整合性とれてない」みたいな意見が多かったんじゃないかと邪推する。高橋氏的にはそのへん確信犯だったと思うけど。

 で、PS版では直ってるそうだ。「ファンの声を聞いて、マルチの気持ちを考え直した結果」とか高橋氏は言っていたが、むろん考え直す前はそれなりの必然性があってやっていたはずだ(多少唐突なのは否めないが、それを言ったらあの別れだってずいぶんと浮いている)。まさかセリフをおろそかにした結果ではあるまい。結果的には、欲しがられていたのは別のマルチだった、ということだろう。あれで納得してた人の立場は? まあ、PC版が存在するからいいか。
 水無月氏が「でもあの後でも『ご主人様』って言っちゃうんじゃないかな」とか発言していたのが印象的だった。水無月氏としてはたぶん納得していないんだろうな(希望)。
 マルチのキャラクター解釈にしろ、シナリオにしろ、いろいろとファンの間でも解釈が分かれるところではあるな。
 このへんは昔議論になった覚えがあるなあ。いや懐かしい話だ。

 あの別れは不幸だと思いますかー彼女は淋しい少女ですかーそれは哀れなことだとおもいますかー自己犠牲だと思いますかー。人間だとかロボットだとかいう以前にマルチはマルチですがそれは「人間」を投影していいってのとは違うと思うんですがどうですかー。

 ……個人的にはそう言いたいところではあるな。

 浩之ちゃんに「『ご主人様』じゃなくて名前で呼んでくれ」って言わせる、という案もあるけど(つまりプレイヤーと心が離れるのが問題として)、言われてするんじゃ意味ないっすね。それこそうっかり「ご主人様」ってまた言っちゃうだろうし。ああ、水無月氏の発言はそういうことなのか?

なんとなく妄想。
「なあマルチ、いいかげん『ご主人様』って呼ぶの、やめないか?」
「いいえ、私にとってはやっぱり、世界で一番素敵なご主人様です」
 なんて逆らってくれたらいいかも。ってそれは違うゲームだ。


5月21日(金)

◆Machine Maiden

  • 「あたしゃ悲しき工業製品 泣くも笑うもお好み次第……」
     というのは、「ブラックロッド」(古橋秀之・電撃文庫)の中の歌。歌ってるのはジニー9っていう、当局に使役される人造ウィッチ(正確にはちょっと違うが)で、いくら働いても使い捨てられた挙げ句に地獄行きまで決定済み(魔女の魂は呪われてるので)というアレな境遇が非常にソソりますな。

  • ……つうか「マシンメイデン」をやってると例の歌がフラッシュバックする。「おツムのネジをちょいとゆるめりゃ……」

  • 中将氏に「いかにも今木さんの好きそうなゲームですねえ」って言われてしまった。いや、そりゃ俺はロボフェチ君だけどさ、これはちょっとミもフタもなさすぎ。それっぽいフィーチャーもどうもおざなりだし。
  • はっきり言って嫌っす。寒い。アルシア、君は人の欲望のありかたを素直に示しすぎる……いやアルシアは悪くないんだけど(あかんやん)。

  • 「ご主人様」と呼んでくれて体も運命もすべて委ねてきて無垢で従順で何もかも許容してくれる、そんな人間はいやしない。だからロボットなんじゃないか。だのにそれだけでは飽き足らず、「心」まで欲しがるのは随分とムシのいい話だ。しかもその「心」っていうのは、きわめて人間にとって都合のいい代物だし。
    ギャルゲーにおける(あるいはそう限らなくても)ロボットの心云々は、むしろ単に「相手が自分を好きでいてくれるかどうかわからない」、という問題の一変形であるわけで。心があるのと心から好きでいてくれるのはイコールなんだよな、なぜか。
  • ま、このゲーム実際は、メインはパラメータいじってCG出すことなので、そのへん言うようなもんでもないかな。

  • ちょっと感心したのは、体に継ぎ目ある娘のHシーンがCGのほとんどを占める、というのがある意味スゴいかも。ロボフェチ君じゃないと「いったい俺なにやってんだ?」という気分になることうけあいだ。触手あるし。
  •  ロボ系のキャラで、カラダは人間と全然かわらないのを見ると「中途半端な根性しやがって」みたいな気分になります。どうも「受け」を広くするためのものでしょそれって。「正常な」恋愛に(都合のいい部分だけ)近づける行為に思える。どうあっても俺を変態にしないつもりか(謎)。

  •  ところでヴィジュアル的には、あの耳も触手もどうも80年代臭くてださい気がするのですが、でも触手で表情作ってるのは(手や髪の毛でやるみたいに)ええ感じかな……って、結局ハマってるのか?

5月19日(水)

◆東京九龍(その3)

 これで終わった……のかな? とりあえずキャラは良かったから良しとしよう。なんかどうも、女の子と同居してひたすら好かれる(なつかれる)だけのゲームだった気もするがまあよい。
 それにしても甘い。「会話するふりしてじゃれる」というコマンドで一日じゃれあって過ごすことも可能だぜ、ふう。振り回されるも手玉にとられるもお好み次第ってとこ。たとえば「小鳥の羽飾り」(STUDiO B-ROOM)のドラマよりダメダメである。設定の差もあるけど。
 気に入ってるのは、いわゆる立ち絵系のグラフィックのほとんどが、顔アップか座りポーズである点。なんか妙にインティミットな雰囲気。

 あと、どうでもいっけど、主人公への依頼内容が、 「明るくて人懐っこい子」「ボディガード兼。護身術の心得あれば尚よし。オプションは爆乳」「小柄で可愛らしい子。オプションは微乳」「金髪の白人」「おとなしくて控え目な子。黒髪の日本人(必須)」「従順で無口な子」といったミもフタもないものなんですが、このへんちょっとメタな感じ。


5月16日(土)

◆ヒゲ#5

 あーなんかまたヒゲの5話見てるよ。ちょっとした会話の「らしさ」がいちいちイイんだよな……。
 アニメの会話って基本的に、同じ盤上で正面からピンポン打ち合ってるようなやつばっかしだから、それらしい会話ってレアなわけ。うまく噛み合いすぎて、面白くない。ナデシコはそのへん面白かったけど。
   

◆GaZO3号

 ターンエー特集のために買い。ちなみに今回の氷川竜介の文はけっこう賛同できた。

 あれ?とちょっと引っかかるけどあまり気にも留めない、そういうシーンが、むしろ作品の空気として効いてくる(謎解き志向でなく)。
 ストーリー/ドラマの本質ってのは「ねじれ(から生ずるダイナミズム)」のことであって、イベントで盛り上がることじゃないのよね。

 まあこの通り書いてあったワケじゃないけど。

いちょうの舞う頃

 って、イベントで盛り上げないのがいいよな、とか。ちょっと連想。
いわゆるお約束のイベントが、しかし鍵とか転機になってないのがヨイ、というのはホットミルクのレビュー(更科修一郎と加野瀬未友が書いてたやつだ)にあったと思うが。
 むしろ「いちょう」に関しては、根本的な普通さ、というより他愛なさが何か非常に効くのかもしれないけど。あたりまえのラブソングって感じで。

 アレに対して陳腐だのもうちょっと盛り上がりが欲しいだのという意見はよくわかるけれど(嘘)、それ求めるのは間違いっしょ。

 文章も何の変哲もなくて好感が持てる。おかげで些細な描写がやたらと「らしい」感じがするし。背伸びしてないし自己陶酔でもなくノリも特殊じゃないってのはこのテのゲームでは貴重……って書いてて悲しくなってきた。話もだいぶそれて来たところで今日は寝る。
 


5月15日(金)

◆ターンA#5「ディアナ降臨」

 ソレイユ降下の直前あたりからの絵的な流れが妙に気持ちよかったが……今回は絵コンテ連名だけどどっちだ? 多分、斧谷稔じゃない方だろうけど。菱田正和の名前をチェックしておく。


 ヒゲの機械人形の動きにいちいち萌えてる(違)今日このごろ。いや、
 

  1. お家芸的なモティーフ(育った環境の違いとか、親しい人間が遠くなる感覚とか、要はスレ違いとか)
  2. 「地に足のついた描写」
  3. ヒゲ
 と選択肢がでたら、せっかくだから俺はこの白い人形を選ぶぜ! とかなんとか。
 
 ところで、次回予告みて「ガ、ガンダムハンマー!?」と叫んだ視聴者は全国にどのくらいいるのでしょうか。

◆間違い


 ここ最近の、日付とか項目クリックして変なところに飛んじゃった人、いたらごめんなさい。
 あとほかにもこっそり訂正。


5月13日(水)

◆キネ旬5月下旬号 富野監督×シド・ミード対談

 ここの情報により購入。
 相変わらず、この人(富野監督)にとっては、「ロボット」ってアタリマエの存在ではないんだなーっていうか。いい意味で。

 ロボットという存在に対して常に、驚きを忘れないっていうかね。ま、馴れでものを作っちゃいけないのは当り前なんですが。

 おかげで、「ロボット戦闘に馴れないキャラ達がとかくブザマな姿をさらす」、という芸風になっちゃってる気もするが、最近。


◆「ダブルキャスト」コレクターズディスク

 先月のGsマガジンに載ってた絵が入ってない。これはいったいどういうことだディオー!

 「季節」の方も、ゲームマニュアルの歌詞んとこの絵は入ってなかったし。星占いの絵を入れるくらいだったら……。

 だいたいこのシリーズ、書き下ろし画像全部上下が切れてるし。後藤圭二の画集は延期になるし散々である。

 まあ半分は、なんとなく初期シナリオが読みたくなったから買ったんだけど。つってもゲームの方あましやってないんだけどね。


5月12日(水)

◆東京九龍(その2)

 エランに酒を飲ませてみる。

 「まぁすたー、最近ボクに冷たいぞ」(酔ってる)
 「そうか?」
 「そうか? そうか? ……そんなカッコばっかつけた生き方はいかあ〜ん」

 なんかちょっとギク。うーんインタラクティヴ(違

 まだエランしかやってないけど、エランはわりとらしい感じです(変な日本語だな)。上の会話はちょっとアレですが。

◆なげやりなフォロー

 あそこでは不満ばっか書いてるかもだけど、ビバップ、嫌いじゃないっすよ。スパイクの肉体とか。
 あと「久遠の絆」、嫌いなのは主人公だけっす。「文章が嫌い」ってのは、単に主人公の口調(っていうか言語センス)が嫌いってことっすから。一人称の場合。
 まあ、ちょっと世に出すには問題あるレベルの文章だとは思うけど、下手だからといって必ずしも読んでて辛いってことはないし。  たぶん、このへんこのへんに感覚が近いかな……。あくまで文章のみに関しては、だけど。たぶん有名なこれはどうも、全然違う気はするっす。

 ちなみにあたしゃハートマークには肯定的ですけどね。なんつうかギャルゲー的に。

 ちょっと嫌なものを書き直してみた。関連(5月5日の日記)はここ

 そこで目頭には、熱いものがこみ上げませう(悪意)。

5月11日(火)

◆体裁変更

 なんとなく体裁変更。って見りゃわかるか。少しは読みやすくなりましたカ?(上海訛り)

◆「東京夜空」夏蜜柑

 久々の衝動買い。短篇集。エロマンガ……って書こうとしたらワニマガジンって成年マーク付いてないのな。
 よくある適当に繊細なだけのアレです。とか思ってたら女の子がちょっと恐い感じでイイです。ナメてかかってたらちょっと足を掬われた。
 思ったよりシチュエーションとオチが気が利いてます。まあ、そこまで大したことないんだけど、短篇のセオリーにはちゃんとなってる。珍しい。
 主人公が石段転げ落ちて大怪我して以来、石段降りる時は絶対に先を行く幼なじみとか、両親が事故で死んで初七日の夜、妹と廊下で行き会って、「なんだ便所か」って言ったらば、「ちょっと持ってて」って灯油缶とライター渡されて妹は一晩中トイレに入ったきりとか、そんな感じです。
 「茜は怖い女だ」ではじまる「sienna」がけっこういい感じ。

◆「東京九龍」jANIS/ivory

 ついピュアガールの戦略に乗ってしまったよ。当然、絵だけが目的……のはずだったがシナリオも思ったより悪くない(会話だけは)。
 内容は強いていえば、「殻の中の小鳥」ライクな感じか?。まあ、だいぶ落ちるが。フォスターみたいに雰囲気ばっちしの語り口は見せてくれません。

 色々あって魔都香港状態の東京が舞台だが、同種?設定の「幻影都市」あたりと比べてもかなり見劣りする。
 ナニカこう、イマイチ「世界」を感じさせてくれないっつーか。「幻影都市」の凝りまくったショップとか、好きだったんだよなあ……。

 なんでしたらここ参照。どうでもいいが、「歴史だけは長い矮小な島国日本」みたいなフレーズで「創竜伝」でも始まったかと思った。たぶんこんなページを見てるせいなんだけど。創竜伝なんざもう何年も読んでないし。

 とりあえずエラン(一人目)と駆け落ちに成功。ええ子や。しかし先は長そうだ。


 ところでゲーム序盤、カッパライやって逃走中のエランを横取りするんだけど(追ってきた奴は銃殺)、
 「死んだ?」「それがどうした」「えへへ。逃げないで済む」。
 こういうのはわりと好きかも。
 

◆「デビルサマナー ソウルハッカーズ」葛西伸哉

 ファミ通文庫。ソウルハッカーズは小説化は2回目だが、牧野修のよりは個人的にはマシかな。まあこれを買ったのは「石のハートのアクトレス」(サークル文庫)の作者の近況が気になったからなのだが。

 長いゲームのノベライズにありがちだが、どうにも全般に駆け足で、読んでて辛い。いいシーンあるけど。
 小説版オリジナルの部分としては、なんと瞳がほぼ主役だったりする。いい子ちゃんやめられなくてカタマって(あと幼なじみのカレが気になるのに何も言えないとか)た瞳をネミッサが引っ掻き回して去って行く、みたいな感じで、どうかするとそれがメインなので原作ファンにはオススメしない。しっかしこれラブコメのパターンだな。

 多少「石のハートのアクトレス」と同工異曲の感アリ。ところで「石の〜」の続編があるって作者紹介に書いてあるけど、ノアール出版ノベルスって見たことない……。

◆「石のハートのアクトレス」葛西伸哉

 せっかくだからちょっと紹介(ネタバレ有)。わかりやすく言うと、マルチが演劇部(高校の)にやって来た、って話かな。いや性格とか全然違うが。
 ちなみに主人公含めメインキャラは全員女子なのでギャルゲーっぽくはないです。あとなんての、内省的?

 ロボットという存在はつまり、「完璧に自分を作り上げコントロールしたい、またできる」という発想と同型である、そう述べて自意識の問題として論じたのはたとえば三浦雅士であるけれど、
 この作品においては、「日常生活に紛れ込んできたロボット」という存在は、そうした、いわゆる思春期の自意識過剰(ミもフタもない言い方だな)とリンクして語られる。(ある意味、スポックとデータ少佐か?)

 ま、考えなしにロボット使うギャルゲーに疲れた人には一応おすすめ。かなり入手はしづらいと思うけど。

 具体的な内容もソースに少し書いておく。  

◆ふたたびソウルハッカーズ

 わりに枝葉末節なんだけど、「データ化されたネミッサがコピーコマンドを受け付けない」ってくだりにちょっと引っかかった。データ化可能な存在として「心」を扱う場合、複製の問題は当然出てくるはずなのに、こういうかわし方はいただけない。まあ、なにしろ悪魔だしどうでもいい気もするが。

 先日、「東鳩のマルチのED、浩之の住所どうやって突き止めたんだろ」「そりゃ、実は全員に同じものを送っていたに決まってるじゃん」て会話をかわしたんだけど(いや答えたのは俺だが)、そのへんどうなんだろうなーっとか。
 個人的には、あの再会はカンペキ蛇足なのでどうでもいいんだけど。
 あれを蛇足だと感じている人をそこそこ見かける割りに、なんか「マルチシナリオといえば別れと再会」で定着しちゃってますねえ。
 ああいう風に再会させちまったら、いったい何を描いていたのかわからなくなっちゃうんですけど、僕は。

 まあテーマ的な完成度を崩して、プレイヤーとキャラの幸せを優先した……ということだろうとは思う。それは作り手として英断とも思うがしかし、受け手側として、「マルチシナリオとは別れと再会」と称してみて、いったい、何を、言ったことになるんです? 謎だ。  いや、ワイヤードさまよってると気になるんだよう。
 ちなみに、『「ONE」は「別れと再会」である』、という意見のもけっこう気になる方。まあこっちはむしろ、それ以外のものの方がよく見かけるか。
 

◆ロボットは、笑いたいときにはいつでも笑える

 っていうのは、秋山瑞人「鉄コミュニケイション1 ハルカとイーヴァ」(電撃文庫)にもあったよな……。




ダイジェストへ戻る