parapraxis

Jul/2002

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 先月末から今月にかけて観たり読んだりしたものをまとめておく。もとい、適当に触れておく。

 ほしのこえ。DVDで。小説版も出ているそうだが、この作品から映像(コンテも含めて)と声を取ったら骨も残らないだろう。大塚英志が主題的に読んで見せるのは、戦略的とかいう以前に、単に愚鈍に見える。CPGに載ってた相沢恵氏の評に賛成一票。
  内容のレベルでひとつ印象に残ったのは「私たち、宇宙と地上に引き裂かれる恋人みたいだね」というセリフで、つまり、連中は仲良しさんであっても恋人かというと微妙であったわけで、引き裂かれるまではそういう意識は特になかったのじゃないか、と思うと却って切ない。
 あと、これじゃあないが、日本のアニメが死ぬ前に見てる走馬燈めいて見えて、そう見てしまった自分に少しばかり憂鬱になった。ロボットも出てくるしなあ。


 フロレアール読本。ファー様の役を振るならメルンだろう。顔のあるミリアなんてミリアじゃないやい。「海より深い事情」の項が最高。プロトコルが議定書のニュアンスだとすると「共通のプロトコル」という言い方がよくわからなくなる気もするが、今度やるときは頭に入れておこうと思う。


 寝ながら学べる構造主義。「作者の死」は同じくらい「読者の死」でもあって、読者が何者であるかは作品を読むことによって決定される。、
 つまり、惚れた相手は常に「ずっと前から求めていた理想のタイプ」であり、しかもそれは毎回変わる。こっちはほとんど常識なのに、こと作品となると、読者が前もって求めている「タイプ」が実在するかのように語る人間が後を絶たないのは何故だろう。(後日追記:たとえば次のような言い回しだ。「しかし『月姫』が伝奇小説とギャルゲーの齟齬を解消しえたかどうかは判別しがたい。解答は、各プレイヤーが「何が読みたかったか」(活劇か?/ギャルゲーか?)という動機によるからだ。」(佐藤心「オートマティズムが機能する」、角川書店『新現実』)。)

 空の境界。頭悪いセンス悪い物知らない体力だけはある、そういう代物。浅田彰いうところの吉本隆明の悲惨、みたいな。正確には、知識の量ではなく出し方で、ようするに、いちいち勿体つけて語るほどのことかそれ、という気になる。
 女のコの一人称の部分(式以外の)とか矢鱈と惹きこまれるのだが、一方、局面によっては、「ああ、作者はここでかっこつけたいんだなあ(ここをかっこよくしたいんだなあ)」と感じられて萎える。
 まあ、いかにも同人臭い詰め込みすぎたキャラクター設定であったなあ、と。「月姫」で式のキャラと設定を志貴とアルクェイドに分散したのは正解かと。
 ただ、個人的には「月姫」はともかく「歌月十夜」はほぼ言うことナシ! くらいには思ってるので、過去の作品の出来不出来など大したことではないのですが。
 往年の「小説道場」に投稿されてた作品はこんな感じだったんじゃないかなあ、と思った。


 木曜の男。キリスト教万歳!
 チェスタトンは『ブラウン神父』だと割と親切に理屈立てて説明してくれるのですが(信仰について)、それというのもブラウン神父が話す相手がたいてい外部の人間に対してであるので、だからそうでない本書はもう、僕には全然サッパリなわけですが。
 いや、「ヘルシング」があまりにもわかりやすいので反動でこういうものを。いや、ヘルシングに出てくるキリスト教なんて、よくある「アメリカ人のカン違いしたニッポン像」みたいなもんですが。キリスト教徒といいながら連中は聖書の文句なんて「Amen」以外に知ってるようには見えず、たとえば「魔王ダンテ」に出てきたみなさんと大差ない。そういえば刃物キチガイいましたね。4巻p129なんて、どう考えても笑うところだ。まあ、作者は所詮はネタにすぎないと割り切ってやっている風なので、べつに文句を言う筋合いではないし第一お門違いなんだけどさ。
 個人的に最もアウトなのは「クロスファイア」で、信仰と狂信を区別していない点。キリスト教徒がそんなことを言ってはいけません。


  31/Jul/2002


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