parapraxis

Sep/2002

もどる


 お猿を愚弄するんじゃない。

 「薀蓄少女」かあ。
 ところで『嬌烙の館』のエリカは、マニュアルによると「不良形而上少女」らしいのですが。ポジション的にはむしろ青砥さんだけど。

(Monday, 23-Sep-2002)

 神林長平『蒼いくちづけ』(ハヤカワ文庫JA)。なんか昔、Keyネタバレ掲示板でKanon舞シナリオに関連して言及されてたような。言われて見ればシーン的には似てなくもないけどさあ。


 それはそうと、25〜29日にかけて中国に行ってきます。西域。敦煌とか。
 西のかた陽関を出づれば故人なからん──ってアレです。

 「ジサツのための101の方法」について唐突に書く。コンプしたのは随分前だけど。
 健全なジュヴナイルだナーと思ってたら、次回作はちゃんとジュヴナイルって銘打ってるのね。安心して思春期の若者に薦められます。無力感も不満も悪意も健康な生命力です。見ていて安心します。われわれを不安にさせるのは、ある種の平静さであり、満足した様子です。たとえば、明日をもしれない病人が何もかも満足だというふうに笑っていたら君は不安になるでしょう。死にたくないと泣き叫べば安心するでしょう。不健全な作品とは例えば、呆れるほど僅少な持ち合わせしかないくせに「たくさんの思い出がある ほかには何もいらないくらい」なんて言わせちまうAIRのようなものを言うのである。
 あと、いまどきビフテキはないだろう。久しぶりに聞いたぞ。若い人は知らないと思うけれど、ビーフステーキのことを昔はビフテキと言ったのです。センスが微妙に古臭いので、なんか光瀬龍のジュヴナイルを読んでるみたいな気になります。
 あと、前向きな終わり方のほうが後味は悪いので、そのへんはうまいと思った。

(Sunday, 22-Sep-2002)

 腹痛。
 消毒用アルコールの呑みすぎか?
 スピリタスより度数低いんだがなあ。アルコールの殺菌力は80%程度がもっとも高いそうです。

 いや、映画とかでよくあるじゃないですか。消毒用アルコールを酒がわりにって。ああいうのには憧れますよね?
 最近やった「ジサツ」でも言及されてたし。

 あと辺境警備でミステル(アルコールと果汁を混ぜただけの酒)作って飲む話があって。たまに果汁100%ジュースとスピリタスを混ぜて遊ぶ。


 ひらしょーさんの掲示板で実存主義と構造主義がどうこう、という話。

 「ロボットだろうが人間だろうがマルチはマルチ」というのはつまり「実存は本質に先行する」ってことだよな。

(Wednesday, 18-Sep-2002)

 流されやすい人間にとって、罪悪感とはどのようなものだろうか?

 いきなりですが『Sultan』というエロゲーの話をします。ほのぼの宮廷恋愛アドベンチャー、と銘打たれてるんですが、嘘じゃないけど十分に真実とはいえない。某「幼なじみといちゃいちゃごろごろ」みたいなもんです。
 先に言っておくと、今のところ(エンディングをひとつも見ていません。まだ途中)、なんというか実にいい塩梅であると思います。ほのぼのしているんだけど、それなりにシビアな政治的現実もあれば、今では身分違いになってしまった幼なじみの恋人もいる。彼女を期せずして裏切ってしまった罪悪感や、いきなりの状況の変化への戸惑いや、突然の重責への緊張感、等々飽きさせないと思います。世界観は弱いものの、いきなり王太子殿下になってしまった主人公に最初に任される仕事が、市民の苦情処理係だったりする、そういうディテールは感心しました。仕事の内容が妙に具体的でそれらしい。


 あと、見ての通りの弟ゲーであるが、これがヤバいくらい萌えるので、何があっても深夜早朝に起動すべし。今更ですが。いいのか?

(Saturday, 14-Sep-2002)

『白鯨』はHarold Beaverによる詳註付きのPenguin Books版じゃなきゃダメだと思うのだがどうか。例えば出典探しに向けられる異常な情熱。(astazapote

 了解。

(Thursday, 5-Sep-2002)

 この話の終りのへんはよくわかる気がします。昔、わりと似たような話を考えたことがあったので(私の場合「人面瘡」ではなく「自動書記」でしたが)。

 ところで、「思っていたこと」と「書かれたこと」のあいだには、本当に何か関係があるのだろうか? 

 むしろもともと、「自分の考えていたこと」というのは、「自分が話すのを聞く」ことによって事後的に生じるものでしかない。われわれは常に、思ってもみなかったことを言ったり書いたりしている。あとからそれらの言葉を「自分の考えていたこと」に回収する(そして時に失敗する)のだ。たとえ頭の中で思い浮かべていた文字列をそのまま書くことができたとて、この事情は変わらない。雨が降っている夢を見た。そのとき実際に外では雨が降っていた。だからといって夢の内容が外の雨を降らせたわけではあるまい。が雨音を聞いて雨の夢を見たということは大いにありうることだ。

 別に考えることもできる。つまり「書く」ことと「考える」ことは並行的な現象で、両者はそれなりに必然的に一致する。いわばひとつの車輪が回転するとき、ある一面が「書く」ということであり、別の一面が「考える」ということになる。両面において回転の仕方はむろん一致するけれども、一方が他方を統御しているということにはならない。

 また別に考えることもできる。つまり、占いが当たっていると感じる程度には、自分の書いた文章が自分の考えを表しているように感じることができる。これは二つ前のとかわらないか。われわれはしばしば、他人の書いた文章をまるで自分のことのように思いなす。ユーミンはあたしのことを歌ってくれてんの、ってヤツである。

 自動書記についていえば、たしかに意図して書いた文章でも、次の日に自分がそれを書いたことを忘れ去り、まったく書いた覚えのない文章だけが残るとすればどうか。

 あるいは、「思った通りのことが書ける」のは、「思ったこと」と「書けたこと」の偶然の衝突のような現象ともいえる。

 きりがないのでこのへんでやめますが。


 そういえば物語要素事典に「人面瘡」の項があったので、リンクしておきます。

(Wednesday, 4-Sep-2002)

もどる