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ここを読んだついでに20日の日記を加筆修正。
つまり、上ページの「お色気」=「全人類的な基準」/「純ギャル」=「個人的な基準」という対立(等号は今木が勝手に付けました)が、ぼくのいう「水着」「海水浴」「浴衣」「夏祭」「デート」「公共性」群/と「日常」「私的」群に重ねられるわけ。他人の褌ですな。特技は牽強付会と我田引水です。

(Sunday, 23-Jun-2002)


 早見裕司『水路の夢[ウォーターウェイ]』に、作中人物が英語の勉強をしていて、「川は季節でいうといつでしょう?」という謎掛けに出くわすシーンがある。答えは夏。スプリング(泉)とフォール(滝)のあいだにあるから。これは勿論、この作家が夏と川に特別な思い入れがあるから出してきたわけで、その辺りは例えば『夏街道[サマーロード]』『夏の鬼 その他の鬼』を読んでも知れる。まあこの三つは同一のシリーズなんだけど。

 僕の知っている川は湖と内海のあいだにあって、そもそも流れの向きも一定しない。だから「遡る」とか「下る」というのはよくわからない。ただ砂場につくった川はちゃんと水源を発し河口へと流れてくれたので、川といえばむしろそっちの方を思い出す。人工の川はちゃんと水源から河口へと流れてくれる。
 もっとも人工でも堀川というのもあって、これは堀なのか川なのかわからない。堀といえば細長い水たまりで、川というより池の一種だろうに。
 松江では川といえばそんな感じです。つうかさ、そこにあるのは川とか堀とか湖の端とかじゃなくて単に「水」なのです。
 芥川の「松江印象記」に、「松江には海以外の水はなんでもある」みたいな言い方が出てくるんだけど、これは「水ならなんでもある」ではなく「なんだかわからないけどなんか水がある」というのが正確なところだ。何処に行ってもなにがしかの水がある。
 どちらへ行っても泉も滝もなく、夏はどこまでもつづいていく。なんつってな。あと、大雨降るとわりと簡単に水没します。地盤低い。

 ともあれ夏なのである。ギャルゲー/エロゲー者によって夏は特別な季節ではあるまいか。思いつくまま挙げるだけでも「同級生」「バーチャコール3」「痕」「AIR」「NOeL Not Digital」「プリズマティカリゼーション」「夏祭」「リフレインブルー」「果てしなく青い、この空の下で…」「Natural0+」「歌月十夜」「水夏」「夏色の砂時計」「花ものがたり・夏」「腐り姫」「僕と、僕らの夏」「はるあきふゆにないじかん」「家族計画」と枚挙に暇がない。
 もちろん、ギャルゲー/エロゲーであるから、必定、夏の存在価値といえばプールか海で、つまり水着でデートである――あった。時には夏祭で浴衣で、これも要は普段とは違う服を女の子に着せる、あとデート、という意味ではそう差はないといっていい。

 だがたとえば「AIR」はどうか? 水着はおろか浴衣も出てこない。海水浴も夏祭も直接には登場しない単なる夏の日常だけで構成される。これはもう少し突っ込むと、個人レベルのイベントしか作品で描かれない、ということでもある。祭だの行事だのとはかかわりないところでドラマは進む。最近だと「腐り姫」も祭そのものは描かれない。「Natural0+」の萌えポイントは割烹着と風鈴と畳と猫である。なんだってば。
 「美少女ゲームの始祖鳥」たる「同級生」においては、当時は夏といえば、海だプールだ水着だ、とかそういう話にあらかたは落ち着いた。そう言わぬまでも必須だったものだ。「ときメモ」でも水着はまあプレイヤーには概ね必須扱いされていた。もっともこれは単なる蒐集欲というものかもしれないが。

 ……いやその、「夏といえば海! プール!」から「夏といえば川! もしくは田圃!」に時代は移っている! みたいな話にしたい。つうか俺が好き。
 「川」系としては「インベーダー・サマー」「腐り姫」「痕」「AIR」(これは海辺のくせに海は出てこず川は頻繁に登場する)あたり。「歌月十夜」の田圃も好きなんだよ。「夏祭」はやってない。正しいヒロインは川か田圃に落っこちなければなりません、みたいな話を曽我さんがしていたなあ、と。

 「海水浴」や「夏祭」といった公共的なイベント(これは同時にデートイベントの定番)に頼らずに「夏」は描かれるようになった。これはスケジューリングとパラメータのデートゲームから、読むノベルゲームへ、という流れと同じことだ。二年前くらいから同じこと言ってそうだ俺。
 このことは、物語内容レベルではなんつうか「私的さ」の強化で、もう海水浴や夏祭や或はデートしたりでは物語が動かなくなって、もっと特殊で私的で日常の些細なつまり本人にとってしか意味を持たない出来事、で物語は構成されるようになっている。実際の作品を思い浮かべずに理念型だけで書いてますが。
 ……覇権は海とプールと水着から夏祭と川と田圃と浴衣に移り、やがて祭も浴衣も必要なくなる。つまり、「海水浴」や「祭」といった非日常的なハレの部分(もちろん水着も浴衣もハレ着だ)抜きに、日常のみで快楽が成立するようになる。
 「AIR」では、海が画面から執拗に排除される。海水浴という、華やかな・公共的なイヴェントは、あの夏の迷宮にとっていささか危険な外部性でありうる(でなくともまったく必要としない。因みに「祭に憧れる気持ち」はむしろ個人的な特殊な事情として語られる)。個人的には、かのりんが川に落ちることは許されても海でデートで水着は許されないのがあの世界だ。
 夏といえば「痕」を忘れてはならない。まず水着が登場しない(初音ちゃんがスク水だったような)。「水」に着目するなら、山中のダムであり、梓シナリオの回想シーンも川釣りか何かだったと思う。もちろん浴衣も着ない。当り前で、それは残暑の季節でありもはや夏ではないのだ。少女たちはまだ夏服だけれど。
 逆にいえば、水着や浴衣や海水浴や夏祭は「夏」をあまりに典型的に直接に示すのであるが、そうした要素を避けることによって、夏をあらかじめ終わったもののように感傷的に経験させる詐術をそこに見てもいい。

(Thursday, 20-Jun-2002)


 よかったっスー
 とりあえず、おかえりなさいと言わせてください。
 あるいは、無事を知らせてくれて有難く思っています。
 きょうの日記、アップされんのいつになるのかわからないんだけど。

(Sunday, 2-Jun-2002)


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